小さな新聞9月号(月刊わらじ連載)


これまでの施策の形骸化目立つ
ネットワーク総合県交渉

 埼玉障害者市民ネットワーク(野島久美子代表)主催の15回目の総合県交渉が8月30・31日の2日間にわたり行われた。わらじの会からは約50人が参加。
 今年は民間の居宅介護事務所のヘルパーさんもちらほら。
 全体として、往来の確認や施策の形骸化が著しい。
 雇用対策課はせっかく障害四団体の提案に応えて本庁舎内三課での職場実習を実施したのに、職業センター登録者等に限り、四団体の「作業所等の利用者を」という案を拒否し、今年も同じことをくりかえすという。
 教育局は「ノーマライゼーションの理念に基く教育」の中味とはと問われて、「わけることの大切さとわけないことの大切さ」と言う始末。
 課題が多く残った県交渉だった。



自己決定

 日本小児科学会の脳死・臓器移植に関する委員会は、脳死での臓器摘出ができる年令を、現行の15才以上から12才までに引き下げる案をまとめた。中学生位だと「自己決定」できるというのがその理由。(8・25朝日)
 新聞やTVでは臓器を移植される難病の人の側だけに目がいって、命のリレーと美化された情報が流される。ドナーカードに○をする「決定」に誘導されやすい。いまや「脳死」は、脳死判定をすべて満たした時でなく、ドナーカードを提示した時が「脳死」の時といわれる。今日も脳死判定の指針を満たさずに無呼吸テストが行われ、臓器が摘出された例が2例あったと報道されていた。(9・3朝日)
 人の生死についての考えは、人生の様々な経験や、近しい人の死、人を愛することなどを通して少しずつ変って行く。
 命は自分ひとりのものではないし、何よりも、どんな姿でもいいから生きていてほしいと願う家族・友人にまで想いをよせるのには、12才では早すぎるだろう。
 「自己決定」の文盲にまどわされてはいけないと思う。(M)