小さな新聞4月号(月刊わらじ連載)


「尊厳死」法制化に反対する
■分けられてゆく教育、労働、生活の決算としての死■

 富山市の病院で医師が人工呼吸器をとりはずしたことを契機に、尊厳死の法制化を求める要望書を、日本尊厳死協会が厚労省に出した。(4/1 毎日)
 尊厳死の考え方の一つには「無意味な延命治療を拒否する」というのがあるが、そもそも、無意味かどうか誰がきめるのだろうか。呼吸器をはずすかどうかという前に、病状が悪化した時に呼吸器につなげるかどうかという問題もある。
 病状の進行によって、その時点で、どこまで患者と医療従事者はつきつめてはなすことができるのか。生きたい・生かせてあげたいという気持の中で医療というのは成り立つと思うのだが、呼吸器をつなげるかどうかを本人に確認することは、近いうちに訪れる「死」を宣告するに等しい。そして、呼吸器を必要とする時点では、本人の意思を確認するような余裕はない。たいがいの場合は「無意味だったかもしれない」と、結果としてあるだけのことが多い。
 尊厳死のもうひとつの「本人の意志」に関しても、元気な時の意志が、病気になった時の本人の意志と同じかどうかもわからない。
 死に向かうプロセスは、本人ひとりのものではなく、家族友人などその人をとりかこむ人たちのものでもある。たとえ意識がなくても、決して「無意味」な時間ではない。
 「尊厳」ということばの下で、意識がない人をきりすてるような、終末期医療の法制化はあってはならない。


大袋にオープン

 「リサイクル・Cafeこぶくろ」が四月八日大袋にオープンした。ワーカーズ・コレクティブの店。代表の一人である巽孝子さん(越谷市)は、「障害者・としよりなどいっしょに働いて、地域につながりをつくっていく店にしたい」と抱負を語った。