小さな新聞8月号(月刊わらじ連載)


臓器摘出ラッシュ この一年
情報公開ほとんどないまま

 家族承諾で臓器が摘出できるように臓器移植法が変わって一年が過ぎた。この一年間で57例の臓器提供があった。大半は家族の承諾である。改正までの13年間では86例であるからものすごいスピード。57例のうち、提供施設や、ドナーの年代等を公表されているのは31例。そもそもの死因や治療経過は一切公表されていない。事件性がないか捜査機関が検死を行ったケースが約20例あるという。検証されているのは6例で、うち1例が公表されているに過ぎない。(朝日・8/2)
 救急医療の現場では、新鮮な臓器を得るために、救命とは反対の医療行為に切り替わる。「移植によって助かる命」という移植推進の陰で臓器摘出にまつわる闇は濃くなっている。


想――

 「いやー、早く見つけてもらったので大変な目にあいました」と彼は言った。数ヶ月ぶりに受診に来た彼に「どうですか」と問いかけ、返ってきた返事。「じゃあ、見つけなかったほうがよかった?」「いやあ、それはそうじゃないんですけど。でも、治療はつらかった。」実感がこもっていた。
 数ヶ月前、彼の喉の奥にガンがあるのを見つけ専門病院に治療をお願いしたのだ。病院の医師からは、「見つけにくい部位のガンを早く見つけていただきありがとう」という知らせをもらった。こんな時、見つけた私は秘かに「やったぜ!」という気分になる。そして彼は放射線治療を受けたのだ。結構つらい、でもガンをやっつけるためには仕方がない。
 早い方がよいか、もう少し遅い方がよいか。遅く見つけても大変な目に会うのは変らないのだが。世の中どの領域でも「早期発見」が主流だが、そして見つけた医師は自己満足するが、どうもそうでもないらしい。