30年前「埼玉都民」という言葉が流行った。住所は埼玉でも学校・職場は東京で、地元には寝に帰るだけ。だからこそ子供の居場所にだけは熱心で、保育所、学校、県立高校を自治体に建てさせていった。この都市化、市民化の波は、農家の庭先や路地裏にいたちょっと変わった旧住民たちを、養護学校や施設に集めていった。23年前「一緒に街へ」とスタートしたわらじの会は、新旧の住民文化の劇的な出会いとぶつかりあいの結晶だった。いま新たに「バリアフリーの街」と銘打って現れた「さいたま新都心」という名のコンクリート・ジャングルは、どんなドラマの舞台になるだろうか? |