「忘却とは忘れ去ることなり 忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」忘れようとすれば、フラッシュバックする。しかし、忘れまいとすれば忘れてしまう。どんな辛い、悲しい体験も、忘れることで、人はまた生きられる。生き続けることは忘れることである。ここ越谷市南荻島の朽ちかけた長屋は、つい四年前まで橋本克己画伯一家が暮らしてきたスイートホームであった。また三年前までの八年間、日本青年奉仕協会からわらじの会に毎年一人づつ派遣される「一年間ボランティア」の宿舎もここにあった。いまは廃墟に近い姿だが、二十三前わらじの会発足のころは、三〇軒くらいが長屋で生活し、駄菓子屋や小さな公園もあり、にぎやかだった。その家から10メートルほどの駄菓子屋に車椅子でジュースを買いに行ったのが、画伯19歳にして初めてのショッピングであった。歴史をさかのぼれば、この長屋は陸軍の兵舎であった。敗戦色濃きころ、松脂で飛行機を飛ばすといった状況にまで追い込まれた軍が、その試作機のための飛行場として急遽この南荻島を指定した。近郷近在の農家や強制連行された朝鮮・中国の人たちも徴用されて、飛行場が作られたが、ほとんど活用されずに敗戦を迎えたらしい。飛行場跡はコンクリートが厚く、どうしようもないので、国が開拓民を募って田んぼとして使わせた。兵舎は大蔵省が分譲長屋として、この開拓民たちが入居したようである。画伯のおじいさんも開拓で入った一人だった。そんな歴史的建造物が、あと数ヶ月で解体され、建売住宅になってしまうという。20世紀を忘れるために。21世紀新年を迎えるために。 |