『月刊わらじ』2002年1月号表紙

 環境保護というが、リサイクルのめどが立たず、解体されてゆくものが余りにも多い。生き残るためには自分も含めてすべてを捨てねばならない社会は歯止めが利かない。せめて最終処分場で一緒になることが、滅びの時代の共生のありようだろうか。この写真はニューヨークでもアフガンでもない、越谷市南荻島のある長屋の解体工事の現場である。「長屋」という言葉自体、もう30年前から使われなくなっているが、ここは長屋として初めから建てられたのではない。あの「大東亜戦争」の末期、本土決戦に備えて松脂を燃料として飛ばそうとした「皇国」最後の戦闘機の試験飛行場を警護する陸軍兵舎のなれの果てなのであった。地元の農民たちとともに朝鮮から強制連行された人々もこの飛行場建設に動員されたらしい。越谷市史にも簡単にしか触れられていない重い歴史を秘めた建造物がいまこうして消滅させられる。「文化遺産」とか「街並み」とかがもてはやされる一方で、歴史を生きた人々の実像は見えなくされていく。
 この長屋は本誌の人気ページ「克己絵日記」の著者・橋本画伯一家が戦後ずっと暮してきた小さな街。そして1990年から97年まで「1年間ボランティア」の宿舎となり、全国から派遣されてきた若者たちの涙や嘆きや喜びの息が染み込んだ場所でもあった。ひっそりと世を去った「長屋」に、謹んで献杯!