『月刊わらじ』2003年8月号表紙

 電車の中、ワイドショーのレポーターのような女性は、心身障害者地域デイケア施設・パタパタのメンバーの菊池よし子さん。これから障害者団体が共同運営している県庁ロビーのお店「アンテナショップ・かっぽ」へご出勤。左上の写真は、県庁内を弁当配達して回っているようす。
 今日は菊池さんの記念すべき「かっぽ」デビュー。菊池さんはかって菓子工場で働いた経験があるが、帰ってきて「いじめられた」と泣き叫び、高熱を出して寝込み、それからほとんど外出もしなくなった。20数年前、彼女が18歳まで過ごした通園施設を卒園して間もなくのことだった。何年かが過ぎ、わらじの会の中に在宅の知的障害の人たちを主とした「コアラグループ」ができ、おたがいの家を訪問したり、せっけん作りを始めた時、菊池さんも参加した。当時の菊池さんは、大きな通りを渡ることができなかった。遠くのほうに車が見えただけでも、足がすくんでしまうのだ。
 数年間「コアラグループ」で活動した後、また家にこもってしまった菊池さんだが、わらじの会の中で越谷市に知的障害者介護人派遣事業を提案し実現させた人達が、同事業を利用して外に出ようと誘った。やがて、菊池さんは「パタパタ」のメンバーになる。菊池さんはずっと母と二人暮しだが、その母が手術のため入院することになり、大ピンチを迎える。しかし、この時に親戚と「パタパタ」関係者との協力の下で菊池さんが自宅で暮らし続けられたことが、大きな財産となった。
 街には危険が溢れているし、人付き合いには衝突も含まれる。まして一般の職場となれば、求められた仕事をこなして当然であり、できない者は滅ぼされる戦場のようなイメージが、菊池さんにも母にもある。
 しかし、その対極にあるやすらぎの場としての家庭が崩れかかった時、外との付き合いの中で支えてきたという経験が、菊池さんと母のイメージを少しだけふくらませた。ピンチも悪くない。少しずつ外へ。