『月刊わらじ』2004年11月号表紙

 ここは新潟県小千谷市の平沢さん宅。わが月刊わらじ編集部員・平沢彩子の生家であります。左は祖父の清次郎さんが、仏壇に向かっているところ。ここは1階の仏間。ふだん、家族は2階、3階で寝ているのですが、余震が続いているいま、すぐ逃げられるように、みな1階で寝ています。この仏間も、いまは手前の弟さんが寝室にしているため、ソファーなどの上に弟さんの着替えなどが積み重ねられている現状(写真)です。
 以下は平沢一家から寄せられたお手紙の一部。「23日の地震には本当に恐ろしい経験をしました。生きた心持もしないとは、こんな時のことでしょうか。電気も消え、暗い中、懐中電灯を頼りに、近所の人々の呼びかけで近くの広場に避難し、車の中で一夜を過ごしました。朝になり四方を見て愕然としました。家屋の倒壊、道の地割れ、自然のエネルギーの恐ろしさをまざまざ見せつけられた気がしました。私どもでは幸い家屋の損傷は少なかったのですが、家の中は家具が散乱して足の踏み場もない有様で、どこから手を着けてよいやらの状況でしたが、幸いに家族5人カスリ傷一つなく元気でしたので。早速片付けにかかりました。壊れた食器をまとめ倒れた家具を起こしたり、夜は避難所で過ごし、昼は片付けたりと、そんな生活で3,4日を過ごし、今では六分通り片付いた家の中で生活をしております。」
 被災した故郷を訪れた彩子さんによれば、「親戚のおじちゃんは足が悪いので、避難所に行かず、一晩だけ車で寝たほかはずっと家で過ごしている」そうです。さまざまな障害のある人々がどう過ごしているかについては、どこに聞いてもわからなかったとのこと。ただ「明日から作業所が再開する」というニュースは聞いたそうです。彩子さんが生家に帰った夜、三味線の音につられて外に出ると、近所の若者達が集まって食べたり呑んだりしながら語り合っていました。その中にいた幼馴染曰く、「地震が起きた夜は停電もあって、空が澄んで星がいっぱい見えた。オリオン座の四角の中に星がいっぱあるんだよな。」彩子さんは、「そうやってみんなその場その場で工夫もするし、盛り立てもしながら生きてるんだなあって感じましたよ。」としみじみ話してくれました。