『月刊わらじ』2004年12月号表紙

 わが月刊わらじ編集作業が黄色い部屋以外の個人宅で行われたのは、この夜が初めて。記念すべき「出前編集作業」の栄光に輝いたのは、巽優子編集長(後列左から二人目)のご一家。後列中央が編集長のご尊父。その右がご母堂であらせられます。この夜は、編集長の誕生パーティーも兼ねてとあって、山海の珍味や飲み物がふんだんにふるまわれ、特大のケーキカットもあり、巽家の財政危機に瀕するのではと心配なほどの大歓迎でありました。満腹になったところで、編集長はカリ編集部員(中列右端)をお供に愛用の「3弦」ギターの弾き語り。はてしなく繰り広げられる優子ワールドに、12月号の編集作業も忘れて……いやこれこそが月刊わらじ編集作業の王道をゆくというべきか。
 ここで巽一家を簡単にご紹介申し上げます。10数年前、大阪は摂津市から越谷へ。長女の優子さんは、小・中とも摂津で普通学級でしたが、知り合いのない越谷へ来て養護学校高等部へ。そして実習生としてわらじの会へ来て以来のおつきあい。やがて編集部員となるや、めきめき頭角(とうかく)ならぬ自分と「おかく」(優子様が自由自在に登場させ、使役されている分身の呼び名。真の名は不明。)のダブル、トリプルのパワーを発揮、間もなく編集長の座をかちえました。結婚して大阪で働く弟さん、マック社員の妹さんも、学校時代はわらじに出入り、介助にも参加したナイスな若者。また、優子さんとご両親を中心に毎月定期的に、優子さんの働くぶてぃっく・ぶあくの品等を、自宅で売る「巽宅ガレージセール」を開催し続けているという「ウルトラ地球防衛隊」のような家族であります。しかし、ローマは一日にしてならず。ここに至るまでの山あり、谷ありの日々については、直接ご一家からお聞きあれ。
 何はともあれ、月刊わらじ編集作業に新時代到来の予感。巽宅に続く「出前編集作業」の栄光をかちえるのは誰?