『月刊わらじ』2005年1月号表紙

 「シャダンって、いったい、そもそもなんですか?なんだか複雑でわかんない。かっぽとのつながりも。なにやってるところか……」、「なんで今になって、社団が、かっぽって言い出すの?社団がなくなると、かっぽもなくなるの?」、「かっぽ作ったのは社団なんだろうけど、作ってそのあとはほったらかし……っていうかんじ。無責任…。」「ま、なので、ぜひ26日の集会に来て、現場の生の声を出してほしいんだけど。生の声を聞けば、かっぽをどうしていくのがいいのかということも見えてくると、私は思うんだけど。」
 これは社団法人・埼玉障害者自立生活協会が12月26日に開いた「どうする?社団集会」で演じられた寸劇のワンシーン。自立生活と共生をめざす県内各地のグループ・個人が共同で設立した同協会は12年目を迎えた。この12年の間に各地のグループはそれぞれに地元市町村との関係を築き、障害の有無・種別をこえた活動拠点や介助システムなどを創ってきた。これらの活動拠点や介助システムは基本的には福祉制度に支えられているが、その制度はかってのように隔離施設をめざすものでなく、「脱施設」・「地域生活」・「自立支援」・「就労支援」をめざすとしている。そのことで、もう共同の公益法人を維持する必要はなくなったのか?じっさい、多くの団体は、地域で忙しく、県レベルの活動に人や時間をさくことが難しい。寸劇でわかるように、新しく活動にかかわった人々に歴史を伝える余裕もない。それでも「社団」は必要なのだろうか?この集会ではあえてそんな現実がさらけ出された。
 とはいえ、「地域生活」とか「就労支援」といっても、それは狭い福祉の枠の中だけの転換にすぎない。街はバリアフリーになり、特例子会社など障害者の雇用の場もつくられたが、障害があってもなくても小さいときから一緒に育ち、卒業後もこの街で共に食ってゆくという関係はどんどん奪われてきたのではないか。福祉という白昼夢の中の「自立生活」や「共生」のもろさを考えるとき、新たなつながりの方向が見える。それは「社団」なのか?それとも?