『月刊わらじ』2005年3月号表紙

 越後新潟は見附市から地震見舞いの礼を兼ねてわらじの会に見えた中央の小柄な女性、清冽な澤に凛と咲くわさびの白い花のようなこの方は吉田知津さん。左下で身の置き所ない風情のわが月刊わらじの黙示男こと吉田弘一さんのご母堂であらせられます。見附市では長年バー「きたぐに」を経営されている酸いも甘いもかみ分けたママさん。集中豪雨による洪水と地震による破壊とダブルパンチを食った後も、お客さんたちをいつものように迎え入れるべくいち早く店を開けた、嵐の岬の灯台守のような方です。
 さて、この烈女・知津さん、先日、トイレで「かまいたち」にふくらはぎを切られたそうで、今回の訪問の際に、そのざっくりした傷跡を公開していただきました(写真を見たい方は、編集部まで)。わらじの会にもさまざまな妖怪が活躍していますが、「かまいたち」さんとの出会いは初めて。なんでも新潟方面はそう珍しくないんだそうで、「南は陽であって暖かなので物を成長させ、北は陰であって寒いので物を削ろうとする。越後や信濃は北の国なので、風が激しく空気が冷たいその力を借りて、山谷の化物がした仕業だろう。」なんて書かれている書物もあるらしい……。
 風のように来たり、風のように去った知津さんは、制度により霊気を吸い取られ始めているわらじ妖怪軍団よ、めざめよという越後妖怪たちのメッセージを伝える特命全権大使だったのでしょうか。