『月刊わらじ』2006年5月号表紙

 5月9日、生活ホームもんてんの入居者・山野内時雄さん(右端)が褥瘡の手術のため、県立リハビリテーションセンターに入院した。その前夜、べしみ食堂で開かれた「山野内さんを囲んでくっちゃべる会」。山野内さんは、案内状に自らこう書いている。「もんてんに入居して1年半あまり。この間、朝から夕、夜中と介助していただいて生きてきました。いや、生きてこられたのが、実感です。入浴、トイレなど、皆さんに迷惑かけてきたことと思います。入院中は皆さんに会えないので寂しくなりそうです。ベッドの上で数ヶ月、苦しい生活が続きそうです。退院後も皆さんにお会いしたいので、入院直前ですが『くっちゃべる会』を行うことにしました。」
 写真からわかるように、66歳の山野内さんの介助に入っている面々は圧倒的に同世代のおやじ。呑むほどに、酔うほどに、戦争の話から、海外赴任したタイでの薬不足の事情まで、尽きることなく語り続けるおやじたち。
 べしみ通所者・佐藤良子さんの父ちゃん(右から二人目)曰く、「退職してからひきこもっていたんだけど、お風呂介助が外に出るきっかけを作ってくれた。来れなくなると、またひきこもっちゃうな。」 ケアシステムわら細工事務局長・藤崎稔さんの父ちゃん(その左)は、この介助をコーディネートしたわら細工のことを、「ハローワーク」あるいは「シルバー人材センター」と呼ぶ。藤崎さんはみなしヘルパー資格もないので、資格のいらない全身性障害者介護人派遣事業の介護人として、支援費制度の介助者と組んで風呂介助に入っているが、最近市から全身性は外出の際に限ると、チェックされた。「山野内さん、市の窓口に、おれの介護どうしてくれるんだと言ってったほうがいいよ!」と熱く語る藤崎さん。
 山野内さんは、このべしみ建設中に車いすで前を通りかかったのが縁で、通所するようになり10年余。武里団地わきの住宅に山野内さんが家族と暮らしていたころから介助に入ってきた臼井さん(左から4人目)は、「いつから入ったんだっけ」、「なんでだっけ、わからなくなった」と繰り返す。入院前夜の宴たけなわ。みんな元気でまた会おう!