七人の侍ならぬ七福神。のぼり旗を押し立てて、どこへ向かおうというのか。本誌カメラマンが初めてとらえた決定的瞬間。七福神が集まるときといえば、宝船に乗船するときと相場が決まっているはずなのに、急遽結集したのは、8月29日、政権交代選挙投票日の前日だったからかもしれない。七福神といえば、「弁天をのぞけばあとはかたわなり」とする障害者差別とその裏返しとしての聖化の狭間に封じ込められてきた。また六人は外国人であり、日本生れの恵比寿もその名自体が異人を意味し、排外主義と西方浄土への信仰とが表裏の関係にある。七福神めぐりが江戸後期の商業の拡大とともに盛んになり、殖産興業・富国強兵の明治国家から戦後民主主義の時代に至るまでロングランを続けてきた秘密もそこにある。近代日本の負の遺産を清算すべくこの日決起したのであろうか。ここは群馬県みなかみ市猿ヶ京。あれは、わらじ夏合宿の中日の白昼夢だったのだろうか。 |