神社には階段がよく似合う。そこに階段があるから、綾音さんは人の手を借りて、しずしずと階段を上る。実は、時代の波に洗われ、この秩父神社にも脇にスロープが付いている。だが、それは自己矛盾の典型。神社は、簡単に人が入れない所だから、神が降臨して人と交流する場となる。だからこそわざわざ階段を設けてある。何かを深く考える時、愛しい人を想う時でさえ、人は目をつぶり沈黙し日常世界を遮断する。異界に在る神と出会う至福と畏怖の時を迎えるためには、結界を張り、それをこえる手順が不可避なのだ。バリアフリーはありえない。2010年わらじの会夏合宿、最終日の風景。 |