県立高校の入試が迫っている(3月2日)。写真は「セーラー服を着たくて高校に行きました」と県教育局交渉で語る埼玉障害者市民ネットワーク・野島久美子代表。その右奥はどの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会・斉藤尚子代表。野島は都内の養護学校を卒業後、入所施設を経て家に帰り、さらに介助者を集めて一人暮らし、そして30代になって県立高校定時制に入り卒業した。10数年前、まだ階段ばかりだった電車を使い電動車いすで毎日通った。「介助者同伴でなければ連れて行かない」との宣告を無視し校外学習の集合場所に行ったら、けっきょく教員も生徒とともに手伝ってくれた。この社会は規格からはずれた人間を「配慮」や「支援」の名でふりわけ、競争を強めることで生産性向上をめざしてきた。多くの子どもにとっては、受験戦争がその入口。しかし、野島のような障害児は幼いころから他の子どもと分けられ、受験戦争すら無関係。「差別はいけない」と誰もが言うが、実際は別々に分けられ出会わないから差別すら体験できない。セーラー服は野島にとって、若者たちと一緒に差別に向き合い乗り越えてゆくためのステージ衣装だった。ふりかえれば、70〜80年代全国一斉の公立高校増設は養護学校義務化と一体で実施された。第2次ベビーブーム世代の若者を多様な労働力として育成する対策が基本。それを効果的に進めるために小中学校の通常学級にたくさんいた障害児たちを特殊学級・養護学校へ追い出す「収容計画」と名付けられた県教育局の資料が残されている。その差別構造は変わらず、さらに重層化しているのに、既成事実の積み重ねによって、「能力・適性による選抜」とか「特別な教育的支援」という言葉が、当然のこと、自然なことのように語られる。そんな今だからこそ、セーラー服やブレザーを、どの子も着られるようにしようよ。 |