『月刊わらじ』2012年03月号表紙

2012年03月号表紙

 谷中耳鼻科の黄色い部屋の専従職員猫・マエが横になったままで執務を行なった。3月9日(金)9午前10時の写真。マエと長い間コンビを組んできた黄色い部屋・男性介護人もかってここにギャッジベッドを置いて、寝たままで活動に参加していたことがあった。だが、この日のマエは再び起き上がることなく、帰らぬ猫となった。職務に忠実なマエらしく、死亡時刻は昼休み時間中だった。14年前、少年マエときょうだいボイは飼い主に捨てられた。当時黄色い部屋の軒下に並んでいた野宿猫村に身を寄せようとしたが、介護人らに水をかけられ、追い払われた。それでもくりかえしアタックし、村民の食事を横取りし、なし崩し的に一員となる。黄色い部屋はかって重度身体障害者の自立生活体験室として開設されたが、当時はコミュニケーション・人間関係上の不利益を背負う知的障害者の生活や仕事をテーマとし、そうした人々を含めて埼玉障害者市民ネットワークの全県的な連絡等を行う場となっていた。やがて「措置から契約へ」の流れの中、地元でも全県的にも活動拠点が増え、参加者が拡がった。その頃、猫たちも段ボールハウスを出て黄色い部屋住み込みの職員となる。全県的ネットワークの下支えとして猫たちの存在は大きかった。だが21世紀に入り周辺の住環境が激変。猫たちは、病気や事故で亡くなってゆく。一時は10匹いたが、ここ1年は遂にマエだけで激務をこなさざるをえなかった。大震災の夜は帰宅難民となった介護人らを待ち1匹で黄色い部屋を守った。「猫も人も共に街で生きよう」を実践で示すべく、マエは常に耳鼻科や黄色い部屋の前に姿をさらした。死の前日も前の道で動けなくなり、会の会計を務める隣家の主婦に抱かれて黄色い部屋へ戻ったほど。権利とは闘いとるもの、そして共に在ることを通し常に変革し続けるものであることを、その猫生を通して証明したマエにしばしのやすらぎを!