交通アクセスinにいざの閉会あいさつで、来た道をふりかえり感極まって嗚咽する副実行委員長・野島久美子。集会では29年前、彼女が「草加駅に誰でも使えるエレベーターを」と駅頭で呼びかけるニュース映像が流された。箱入り人形だった彼女が電動車いすで街へ出る楽しみを覚え、やがて電車に乗ってわらじの会の活動に参加し始めて間もなくだった。当時八潮に住んでいた彼女は1時間近くかけて草加駅まで来て、そこに立ちはだかる階段を乗客にかつぎあげてもらいやっと電車に乗った。手こぎの車椅子ではすでにわらじの会の面々が一人乗車していたが、重い電動車いすで乗車したのは彼女が初めてだった。恐らく全国的にも草分けに違いない。挑戦は続く。20年前、春日部市で一人暮らししていた彼女は障害のある子どもたちの高校進学に共感し、養護学校卒の身ながら定時制高校に受験し2年目に県立与野高校に合格した。ずっと念願だったセーラー服を着て毎日電車で通学し始めた。こうしてまだまったく改善の予定もなかったJRの各駅にも衝撃が走ることになる。高校の下車駅では彼女専用のスロープを急造し、南越谷駅の管理職は腰痛で入院し駅員たちは本社に昇降設備を要望した。みんなと一緒にあたりまえに暮らしたい、そんな彼女は風呂介助の約束の時間には何をさておいても帰宅する。しかし自分の生活を守る以上に、誰もがあたりまえにぶつかりあいながら一緒に生きる地域をめざしてきた。それが結果として交通アクセスに結び付いた。これからを考える上でもとても大事なこと。 |