『月刊わらじ』2013年08月号表紙

2013年08月号表紙

 私たちにとって、「働く」とは?かって70年代の自立障害者運動を切り拓いた青い芝は、重度障害者にとっては、介護者の関わりに合せて体をややずらすといったことが「労働」だ、と言った。いま考えると、それは障害のない人にとっても言えることではないかと思う。「家族を養うために働いてんだよ」という人が多いことは確かだが、働いても出費ばかり、働かないほうが生活費が残るという人もいる。右から二人目の倉川さんはそちらに近いのかもしれない。7年前から借地で有機農法の専業農家となる。農薬、化学肥料を使わず、草を生やし、堆肥をつくり、多様な生き物の居場所を用意して、野菜を育てる。近隣の農家から雑草を刈れと怒られたり、時には除草剤をまかれたり…。販路は市場ではなく、自然食の店や個人宅への野菜セット宅配が基本だが、すべてを一人でやるのは限りがある。あまりにも壁が厚いが、あきらめない。さまざまな生き物がいる地域で生きるために働いている…といえようか。
 その倉川さんの畑に来た左端の沖山さんは越谷市障害者就労支援センター所長。高校卒業後ひきこもっていて、働いたことがない30代のS兄弟を、短期職業訓練をさせてほしいと話しに来た。倉川さんは涼しくなって余裕ができたらという条件でOK。兄弟にとって、「働く」とは世間に交わること。が、そう考えてみると、客がめっきり減った通りで店を開けている多くの自営業者や、順番待ちでないと仕事がないというシルバー人材登録者、アルバイトの若者も、働けばかえって貧しくなるのだが、やめたら世間とも人間とも切れてしまう実感があるのかも。ワーキングプアの落とし穴のさらに奥には、一緒に生きたい人と人の関係が潜む。