『月刊わらじ』2016年03月号表紙

2016年03月号表紙

「障害」を「個人」の問題に還元してしまう「医学モデル」に対して、「障害」は「社会」が個人に対して築いた障壁だとする「社会モデル」が、障害者の権利条約の基本であり、障害者基本法、差別解消法などもそれを受け継いでいる。画期的なことだ。だが、「地域と障害―しがらみを編みなおす」で書いたように、欧米流の「個人から成る社会」、「市民社会と国家」というイメージが、この日本ではピンと来にくい。だからあえて「地域モデル」として、「学校」、「職場」、「市町村」等の関係性の中でとらえることを提起した。
 この人は、職場参加ビューロー世一緒で、水曜の300円昼食を作ってくれる関根さん。肺気腫で板前を辞めたが障害者手帳は得られず、ローン返済で苦労しつつ、現在唯一の報酬が世一緒の微々たる手当。新越谷で36年居酒屋をやり3年前に廃業。水曜の障害者スタッフ・木下さんは、よく父と飲みに行った縁。久しぶりの再会だった。関根さんは、中学卒業後、豊島園のホテルで3年、同じ西武系のスキー場のホテルで2年働いた。将来自分の店をもちたいと言ったら親方から「浅く広く全国を回ってこい」と言われ、四国の鳴門を皮切りに、広島、九州、沖縄、東京駅、池袋と各地を1年ずつ遍歴した。1年いれば春夏秋冬の料理を学べる。お連れ合いとは沖縄で出会った。「鳴門では石鯛なんか鯛じゃないと言い、ハスって呼ぶんです」、「あと1年修業すれば包丁式の免許やるって言われたけど」 語るほどに熱が入る。
 関根さんほどではないが、埼玉には高度成長期に故郷を出て各地を遍歴した後定住した人が沢山いる。その子どもが働く世代となり、孫が学校に。一緒に働くとか共に生きるとかいうのは、単に支援、扶助による平等というだけではなく、生活の中で異なる文化、感覚を共有することでもあるのだ。