『月刊わらじ』2016年06月号表紙

2016年06月号表紙

 6月4日(土)ケアシステムわら細工全体集会終了後に開催された「くっちゃべる会」。5グループに分かれて、自己紹介とわら細工のこれまで・これからを語りあった。とはいえ、この日は1時間しかない中、近況や各自の関心事をちょっぴりといったところ。
 この「くっちゃべる会」の原則は障害のある人もない人も全員参加。中には盲ろうの橋本克己画伯のように、手で触ったり、空気の流れを感じたりすることで、世界を認識する人もいる。画伯の世界認識については、本号の「克己絵日記」を参照されたい。また、重度の知的障害者と呼ばれる人の多くは、言葉にだまされることなく、場の雰囲気や人の表情、身ぶりなどから状況の本質を鋭く理解してしまう。
 人は言葉を介して互いに関わり合い、言葉を介して考え合い、言葉を介して共に生きる。が、同時に、同じ言葉が人により、時と所によりまったく異なる意味をもつ。言葉によって愛し合い、傷つけ合い、時には殺し合う。「話せばわかる」というのは言葉への過信だ。言葉は独裁の源にもなりうる。
 だから会議だけでなく、すれちがいながら一緒にいて「くっちゃべる」、こうした会がとても重要なのだ。わらじの会で折に触れ、「くっちゃべる会」を開くようになってから30数年。わかりあえることは都合がよいが、わかりあえないことは悩みでも魅力でもある。手話言語条例だけでなく、また「障害文化」に限らず、この社会の片隅でお互いに想像することもできない人生と価値観をもった人同士が、出会い、互いを大事にしながら、共に学び・共に働き・共に暮らす社会を切りひらいてゆくために。