『月刊わらじ』2016年07月号表紙

2016年07月号表紙

 おとさんこと藤田音次郎さん(87才)としばらくぶりに再会。ここは「どくんご」が去ってすぐの北越谷駅西口のさくら広場。「七夕フェスタ」(越谷市男女共生参画推進センター「ほっと越谷」主催)の会場で。相変わらず元気で、毎朝4時から2時間、朝飯前のウォーキングを欠かさない。いつも1万歩以上、時には2万歩にも。この日も、朝飯の後、「七夕フェスタ」に出店している元市職員組合の退職仲間たちのテントにいた。
 おとさんの華々しき「わらじデビュー」は1997~8年。当時パタパタの通所者だった知的障害の白倉清美さんが市立病院の組合事務所で職場実習を行ったとき。この実習は、いまはない職域開発援助事業という公的制度を活用し、援助者に手当が支給され、注目を浴びた。このときに、「技術援助パートナー」(組合委員長)の下で、清美さんを病院職員たちにつなげるボランティアを務めた。当時おとさんは67才の市職員OB。長年の組合活動での信頼関係が生きた。ちなみにこの写真左下に映っているのは桧垣さん。当時の看護師長。この実習は東映の教育映画「街で生きる障害者とともに」(大熊監督)に記録されている。
 おとさんはまた、元市職員組合委員長で市議になった佐々木さんと二人で、一人暮らしの藤崎稔さんの入浴介助を何年もにわたり務め、その様子が自治労の全国機関紙で報道された。
 おとさんは越ヶ谷町の高等小学校を卒業し、16歳から加須の駅員になったが、低賃金のため3年で辞め、高給の研磨工となり工場を渡り歩く。40歳になり越谷市職員に採用され、清掃現場に入るが、そこは「飯場」。コネで入った古株がさぼり後輩に負担を押し付ける。「町工場じゃつぶれちゃう」。おとさんは組合の若手たちと一緒に現場を改革し、役所の現業差別とも闘った。越谷の職場・地域を拓いた功労者だ。