世一緒の障害者スタッフの中では「新人」に近いが、人生では先達の癸生川新一さん。「おやじがさけのんで、家でのんでよっぱらってあばれて、母とけんかして、母が家出して、三日かえってきませんでした。しっそうちゅうです。あねが荒川けいさつにそうだんしてくれました。自分が中学2年生のときです。あねとけいさつの人がきて、父とはなしあって、自分と弟はパトカーできたじどうそうだんじょにいきました。あねたちは、すみこみで、おてつだいさんにいったそうです。いもうとは千葉県の一宮のしせつにいったそうです。自分と弟はきたじどうそうだんじょに1ヶ月いました。それから、東京都の板橋区前野町のマハヤナ学園ナデシコ園に、しょくいんさんといきました。」 ここまで読むと、両親との縁は切れたと思うが、中卒後メッキ工場で働いたのち、父親の家に住む。父は別の女性と出会い温和になっていた。父と川釣りする写真がある。その後靴底加工の工場で30年勤続し、社交ダンスや釣りの会に入り、その縁で結婚する。越谷に家も買い、息子も生まれるが、面倒見の良い社長が社内預金を使い込んでしまい数百万を失う。息子は高校を卒業して就職した後独立し、音信もとだえる。靴底加工工場をやめた後は、家を売ってアパートに引っ越し、清掃会社や看板持ちのバイトをやりながら夫婦で食いつなぎ、やっと年金暮らしになる。 世一緒にはハローワークの紹介で。癸生川さんは初対面でもすぐ話すので、相手も懐をひらく。世一緒でも聞き役で語り役。長年連れ添ったお連れ合いが苛立って叩いてくるときはじっとしてるとおさまる。アパートの駐車場の片隅に花を植え育てている。霜でやられないよう、ビニールで屋根を作る。そんな風に人生の秋を送る作法を、癸生川さんは修羅場で拾い集め組み立てたのだ。 |