東部地区ツアー4回目、9月20日(土)のおしゃべり会は、春日部市市大場の生活支援センター「たけさと」をお借りしてやりました。このセンターは、精神障害の人々の支援の施設ですが、数年前に「環境が悪化する」という偏見に基づく地元住民の反対があり、計画がストップしていましたが、このほど話し合いがつき、オープンしたばかりです。前号でお伝えした「輝くん」の中学にほど近いこともあり、会場としました。彼はお父さんと一緒に参加しました。
白倉さんからのあいさつの後、「輝くん」のお父さん・竹澤さんから口火を切ってもらいました。
竹澤:今週の水曜3時から5時までクラスの保護者会が開かれた。「特別に、輝くんのことについて」ということで、妻が小さい頃の病気のことからいろいろ話し、いくつか質問が出た。「この子は何を習うのか?」と訊かれ、妻は「英語は興味あるんで、一生懸命聴いてますよ。」と答えた。そのほか「身内にアルツハイマーになった人がいてすごく大変」という話が出たり、「今度文化祭だけどできないんじゃないですか?」という人がいたりしたが、最終的には「何か学び合えることがあるんじゃないですか」というところで落ち着いた。その夜、「初めてだったらそんなもんだよなあ」と妻と話した。
先生たちはすこぶるいい対応で、偏見がない感じ。初日からよく声をかけてもらっている。学校で何度か発作も起こしている。また教室移動が多いため体力を消耗し、動かないでいるところを3年生が見て、手伝うよと声をかけてくれる。「そういうところを引き出してくれるんですね」と学年の先生が妻に話してくれた。2階から、同じクラスの子が、「輝くん!がんばれよ。もう少ししたらふつうの子になるからね」と叫んだりする。すなおに接してくれている。 本人は、以前特学に入ったときのようなストレスは感じていないようだ。石川県の担任の先生も心配してくれて、手紙を書いてくれた。 28日に春日部で文化祭があり、輝もバギーに乗せて文化祭に出場できるようにしようということになった。「端は目立たないから真ん中がいい」など。夕方まで練習があるのだが、支援員が1日5時間しかつかず、支援員のいないときは下校してくれという校長先生のこだわりがあり、学校として検討の結果、月曜は10時半登校にして夕方まで支援員もいられるようにして練習に参加した。学校としては、ゆくゆく全部に時間をとは考えているらしい。コミュニケーションについては、子供同士であれこれやっており、エピソードがたくさんある。Tさん(越谷):親たちは「社会とはこういうもの」という考えで固まっているが、子供たちは柔軟で受け入れる力がある。柔軟性のある頃からやっていかないといけないなあと思う。
KAさん(春日部):市会議員。竹澤さんが引っ越してこられたあたりに以前住んでいた。
Nさん(越谷):昔子供が幼稚園に行っていた頃、障害のある子のお母さんが生活ホームに介助に入っていて、代わりに介助に入ったのがきっかけでわらじの会の活動にかかわり始めた。
Hさん(越谷):学校に行っていた頃、悪がき達が避難訓練のときにHを背負って逃げるという大義名分が与えられて活気付いた。修学旅行でもぼくの車椅子を押して京都中みんなで走り回った。あとぼくをダシにしてさぼるとか。勉強とは関係ないけど、それ以外のところでいやおうなしにそうなった。優等生は優等生で、日ごろHをめんどう見てるという顔をしながら‥‥それぞれにいろんな関係があった。
Iさん(春日部):子供が小5で普通学級におり通級指導教室にも通っている。勉強が難しくなるので、さ来年中学進学をどうしようか悩んでいた。その中学に輝くんが入ってくれたので、心強い感じ。輝くんが3年になったときうちの子が1年になる。
SAさん(幸手):29歳の娘は工場で働いている。今年に入り精神的に非常に不安定になり、仕事は続けられているが、家で荒れる。地域の中で生きていく上で、卒業後もこういう話し合いに出るのは大事だなあと実感している。娘にも休日に趣味をもたせてやりたくて、わらじの会のSUさんがやっている山歩きの会に参加した。娘もだんだんからだになじんできたようだ。
KIさん(越谷):おしゃべり会は初参加。1歳半で自閉症とわかり、やがて通園施設へ。4月から保育所に通いだした。健常児とかかわることで安心しきっていたが、マンション住まいでもあり隣近所との交流が薄い。子供が多動だったり、横目で見たりということもあり、自分が疲れていると、近所の公園に連れて行くのも大変な感じがするが、家族のために近所に出て行くことは大事だと思っている。保育所ではいい先生に恵まれ、トイレのことも教えてもらいよかった。
Rさん(岩槻):次男が小学校入学時、特学を勧められたが、ずっと普通学級。高校は剣道部のつながりで、県立の全日制へ。
Aさん(越谷):越谷養護に行っている息子と母です。
共感メールをいただきました |
本誌前号のおしゃべり会の記事について、朝霞の田中さんより次のような共感メールをいただきましたので、ご紹介します。
田中 泰江(朝霞市)
おしゃべり会の内容を見まして、私と同じような苦労をしている方が居て、思い出してしまいました。 私も、娘の就学にあたっては、色々と苦労しました。 他害行為が(かみつきやひっかき)酷く、入学後、1学期間、親子揃っての登校でした。
簡単に考えてたのですが、先生が居ない時は、先生の代理状態で、ぼろぼろに疲れてしまい、親子揃って、休みがちに成りました。 これではいけないと思い、付いて行かない旨を学校に伝え行くのを辞めました。 でも、娘の他害行為は無くならず、学校側から、付き添いを、再度求められましたが、お断りしたところ、学校の方で、学年の副担任を、娘のクラス担当にしてくれまして、どうにか過ごしました。
遠足の付き添いも求められましたが、断ると、教頭先生が娘に付いてくれたそうです。 私の場合は、付き添いは強要出来ない、と言う事で、どうにか成りました。
あと、クラスのみんなに理解を得られないと言う事ですが、私も、娘が1年の時は、 担任から「クラスの保護者に理解を求める為」と言われ、障害のカミングアウトを強要されました。
懇談会の中でだったのですが、思っても見ない理解者が多くて、逆に励まされました。 2年の時は、娘のお休みの時に、担任の先生が、クラスのみんなに、「やすなちゃんは、何処が違うの?」と聞いてくれて、違うところを、黒板に書き出した後、「次は 、○○君の違うところは?」「次は、○○ちゃんの違うところは?」と、書き出して 、「あれ!みんな違うじゃ無いか〜、やすなちゃんだけじゃ無いや!」と、みんなに 説明してくれました。
ただ、理解者だと思っていた、この先生にも、後日、保護者からの理解の為と言う事で、懇談会での障害のカミングアウトはさせられましたが。 今年は、回りが慣れてきたのか?私が、役員でバリバリやっているので、言えない雰囲気なのか?今の所、何も有りません。 みんな同じような苦労をしてきているんだな〜と、切なく成ってしまいました。