居住地交流の現場では(宮尾純生君の場合)

 つぎのTOKOおしゃべり会の受け入れ準備をしていただいた草加市の宮尾さんの息子さん・純生君は、4月から通っている越谷養護学校から地元の瀬崎中学校に「交流学級」を申し入れ、まだ2回だけですが、実現しています。純生君は小学校在学中に交通事故にあい、障害が残りましたが、ご両親の全面的な介助体制により元のクラスに復帰し、卒業まで一緒に学びました。中学からは養護学校になりましたが、友達との関係を大切にして地域で育てたいというご両親は、養護学校、中学校、さらには県、市とも話し合いや文書等をもって「居住地交流」の希望を伝え、まだささやかな形ではありますが具体化にこぎつけたところです。以下は、宮尾さんのホームページからの転載です。



 9月になって第二回目の交流学級の日が決まりました。9月26日のけやき祭(文化祭)の日です。できるだけ普段の日を希望していたので、行事交流に決まり少し戸惑いましたが、瀬崎中でも純生も楽しめるようにと配慮してくれたのだろうと思い、どういう形で文化祭に参加すべきかに考えを切り替えることにしました。
 インクルージョンをテーマに議論しているHP(掲示板)にてアイデアをもらい、ただ文化祭をお客さんとして見学するのではなく、純生も何か展示をしてはどうかと考えました。早速養護学校を通じて瀬崎中にお願いし、快諾をいただきました。
 養護学校のN担任や呼びかけに応じてくれた瀬崎中の友達と相談しながら準備を進め、短い準備期間ながらなんとか展示物はけやき祭に間に合わせることができました。結局純生はタイトルのみ担当しました。


 午前9時に学校へ到着。純生と母(妻)は体育館へ直行し、午前の全体発表を皆の輪の中で参加しました。その間に父は2Fの玄関脇に居住地校交流学級の展示と配布物を張り出し、5Fの教室に養護学校の一日展示を張りました。
 玄関脇は見学の保護者に知ってもらうためです。5Fの教室では1組のテーマである「健康と福祉」の中で養護学校のことを調べるグループ発表にマッチした内容でした。
 12時で体育館での全体発表(各クラブの発表など)が終わり、1Fから5Fまで父が背負い、同級生が車椅子を運びました。小学校の時は4Fまで背負うことは難なくできたのに、今回は純生の体重が増えたからか、父の体力が落ちたからか、4Fから足がプルプルしてかなりしんどい思いをしました。準備段階から友達が心配していたとおり5Fの教室への移動はかなりの負担であることがわかりました。


 教室に到着してから早速給食です。今日はから揚げとチャーハンのお弁当を給食室の方々が作ってくれていました。純生だけでなく父と母の分まで用意していただき本当に感謝です。給食の頃はまだ皆と純生の間には距離があるように感じました。
 給食が終わってから父も母も純生のそばから離れて見ました。すると段々と友達が純生に話しかけてくれました。小学校は違う子もいます。それをみて安心して父と母は純生と別にいろいろな展示や催しを見ることにしました。純生は友達の中でとても嬉しそうな顔をして、友達に車椅子を押してもらいながら小学校からの友達を見つけては声をかけていました。
 教室の純生の展示の隣には友達からの色々なメッセージが貼ってあります。友達の熱い思いが私達家族だけでなく、地域の保護者の方々にも伝わったと想うととても嬉しいことでした。
 今回は行事交流の良い面(多くの友達と触れ合える)が引き出せましたが、閉会式でほとんどの実行委員が言っていた「文化祭までの課程の素晴らしさ」を純生が共に分かち合えるのは難しいことなのかな、という想いも正直な感想です。