純生くんの居住地交流レポート11月29 日(土)、草加で初のおしゃべり会を開きました。あいにくの雨でしたが、にぎやかな集まりになりました。簡単な自己紹介の後、今日のおしゃべり会を地元で準備していただいた宮尾さんから草加での活動を報告していただきました。
先日、宮尾さんが市内の学齢期の障害児をもつ親御さんたちに呼びかけて、草加市長との「いきいき市民懇談会」を行ったそうです。その中で宮尾さんが思ったことは、親たちの中に特殊学級のニーズが強いこと。とはいえ特殊学級は限られており、4人で1学級というのが市教委の基準。いきいき懇談会の後、瀬崎小に1人学級ができたということです。また、懇談会とはかかわりないようですが、最近になってすべての学校に特殊学級を設置する方針が打ち出されてきたとか( 宮尾さんが要望しているわけではありません。念のため。)。
宮尾さんの次男・純生(じゅんき)君は、今春中学に上がるに際して、越谷養護を選びました。しかし、小学校のとき(事故で障害を負った後も普通学級で卒業)の友達とのつきあいを大切にしたいとの思いから、居住地の瀬崎中学校に交流を申し入れ、不十分ながら行っています。肢体不自由の生徒も在籍しているのですが、バリアが甚だしいので、階段昇降機を設置してほしいと要望しました。PTA役員が総意で動いてくれて、昇降機が付く方向になりましたが、さらにエレベーターになりそうなようすも見えてきたとのこと。宮尾さんは、「小さな声でもあげてゆけば、動くものだということを感じました」と話しておられました。
宮尾さんは、昨日、県教育局特別支援教育課を訪れ、課長と居住地交流促進について話し合ってきたそうです。課長は「基本的には市町村しだい」と言っていたとのこと。
純生君の交流については、宮尾さんは「最低月1回通いたい」と要望してきました。しかし、瀬崎中学校の校長が代わってから、管理の側面が強くなっており、一向に進みません。それで、あらためて市、養護学校、中学校に対して、「来年度は教育課程の中にきちんと組み込んでほしい。ダメなら転校させます。」と申し入れをしたということでした。多彩な顔ぶれが集まった
宮尾さんの報告の後、そのまま宮尾さんに進行役をしていただいて、参加された方々から自己紹介を兼ねて近況報告を受けました。
TD(吹上町):幼稚園の年長。子どもと二人で、6人の就学指導委員に囲まれて「相談」。「普通学級に入れたい」と言い続けたが、「言葉が出てないから」とか、「1時間じっとしていられないと指導は難しいから」と、養護か特殊が適切だと言われた。肢体不自由児が一人入っている例はあるが、知的障害児の場合普通学級などとんでもないと言われた。すごく不安。近くで同じ立場の親を知らないので、遠くから参加した。言葉が出始めたので、就学猶予はどうかとも思っている。
Y (立教大生):障害児の施設とわらじの会で実習をした。「障害があっても一緒に」ということを成人になってから取り組むのは大変な労力が必要であり、やはり子どものころから分けないことが大事と思う。だが、自分の中で葛藤がある。
NA(草加市):息子は自閉。小・中・高(定)とずっと普通のクラスで学ばせてきた。あたりまえのこととして。
K(草加市):娘はやはり自閉。12 月で31 才。20 才まで多動で大変だったが、やっと落ち着いた。小2まで普通学級。3 年から特殊学級。高校は定時制へ。
TK (春日部市):息子は9月に春日部市の中学1年普通学級に転校した(栃木県では特殊学級)。市のほうで支援員も付けている。ただ支援員の勤務時間が1日5時間までで、支援員がいなくなると帰されてしまう。先日、「社会体験」という行事があり、体験先として「小学校の特殊学級ではどうか」と打診されたが断り、小学校の普通学級と幼稚園になった。
A(越谷市):ずっと越谷養護。スクールバスで家と学校を往復するような生活を、卒業後もずっと延長するだけでいいのだろうか。先日、特振協の中間報告についてのパブリックコメントで、「条件整備」を求める意見が多かったというが、障害のある本人がもっと地域に出て行かなければどんな条件整備が必要かも見えてこないと思う。
SI (春日部市):娘は「重度」だが、「重度」と思って付き合ってはこなかった。今日は生活ホームのメンバーたちと一緒に、ピープルファーストの大会に行っている。子供が共に生きられるようにという親の希望は大事だが、希望ばかり先に立っている感じもする。親自身が地域の他の人々とどう共に生きるかが大事と思う。
SA(草加市):車椅子使用の娘は結婚し子どもが二人できた後離婚し、いまは子ども達と大宮で暮らしている。やはり「共に」は、誰かが考えてくれるというものではない。親が考え、責任をもち、その上でみんなで一緒に考えてゆくべきものだろう。
NU(三郷市):息子は高2で全寮制の高校に。小さいころは市の療育施設と保育所に。就学時は1語文で、あたまから「特殊へ」と言われた。しかし普通学級へ入れた。他の子のようすを見て勉強もするようになったし、子ども達がことばを教えてくれた。
NY(越谷市):子どもが幼稚園の時、障害のあるお友達のお母さんが、わらじの会の生活ホームの介助に入っていて誘われたのがきっかけで、いまはCIL わらじ総合協議会の職員。いま大人の障害者についても「特別なニーズへの支援」が強く叫ばれているが、その半面で障害のない人々を含めて一緒に生きる関係がこわされている。
SB(草加市):通園施設その他で療育中。一見普通に見えるがこだわりが強い。保育園の面接をしたが断られた。再来年の就学を前に、迷っている。
K(八潮市):息子は小1のとき脊髄損傷。八潮市で初めて車椅子で普通学級に。親が付き添った。中学はお願いに行く前に市長がスロープを付けてくれた。中学は一度も付き添わなかった。高校は定時制に通ったが、単位が足りず昨日退学届けを出した。今日は友達と都内に出かけている。
TN(草加市):娘は車椅子で小学校、中学校とも普通学級。入学のとき付き添ってくれと言われたが、実際は大体付き添いなしで小学校を卒えた。中学でもまた付き添ってくれと言われたとき、からだも大きくなってきたので自分から付くことにした。知的な障害もあり、授業中退屈。中学1年のときは周りの子が緊張して離れていった。ずっと養護学校に転校させようかと迷っていた。本人はいま暗い。3年になってからはテストを受けるのもイヤという。しかし、いまは周りの子が受験前で不安なため、かえってこの子が救いになるらしく、新たなかかわりも出来ている。卒業後は越谷養護高等部へ。
H(草加市):子どもはADHD と高機能広汎性発達障害。30人以上という集団生活が出来ない。聴覚過敏、空間認知も悪い。ごく普通だが負荷がかかるとパニックに。しかしニコニコしながら走り回っているので、パニックに見えない。保育士さんから「どこが障害?」と言われてしまう。この子にとっていい居場所を探している。
このようにたくさんの人たちが集まり、熱い話し合いになりました。また、山下より、各市町村に対する「就学指導の抜本的見直しについての提案」(後掲)についての説明も行い、2時間はあっという間にすぎ、時間延長までして語り合いました。