むかし生徒だった私の学校論 |
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(以下は社団法人・障害者自立生活協会主催の「ノーマライゼーション・地域生活支援研修セミナー」での講演の一部です。同協会機関誌「通信」より転載しました。)
千田さんは小児マヒで、幼い頃は手にゲタを履いて、近所の子ども達と遊んでいました。学校に上がるとき、教委から来るなと言われ、就学猶予しました。次の年も同じ対応だったので、カトリック系の私立校に入りました。
そこでは地域の子がいなかったこともあり、いつもいじめられていました。でもなぐるだけではなく、2 階に担ぎ上げてくれたりもしました。5年になった頃から、成績が上がったこともあり、子ども達の態度が変わり、いじめがなくなりました。
こうした体験から、千田さんは、「『障害児を普通学校へ』というのが自分の主張だけれども、学校に入ったら自然にうまくいくというわけではない。」と強調します。途中で養護学校が出来始め、松葉杖の男の子が転校していきました。千田さんも早いうちに養護学校が出来ていたら移っていたかもしれないと、そう思っています。
千田さんは言います。「校区の学校に入るというのは、子ども達の関係を切らないということ。入れるだけでいいという人もいるが、私はそうは思わない。」
千田さんは、79年の養護学校義務化によって「原則分離」が確立したのだと説明します。この制度の下では、普通学級に障害のある子が入っても、それは「お目こぼし」であり、「あたりまえ」に入ったわけではないと。同様に、養護学校に選択して入ったと思い込んでいる人がいるが、それも実際は、指定されて入っているに過ぎないと。
千田さんが運営委員をしている「障害児を普通学校へ全国連絡会」では、「完全統合」ではなく、「原則統合」を主張しています。それはたとえば聾の人たちが求めて聾学校に行くという場合に、それをやめさせるとはしないということです。「その逆の立場に立ったときを考えると、こっちへ行けとは言えない」と、千田さん。
「一緒に教育する」と言ってもイメージが湧かない人が多い現実があり、それは一緒に生きていく体験が少ないからで、互いに努力してつくりあげてゆくものであると考えようということでした。