「支援籍」の報道によせて

 土屋前知事の「全障害児に普通学級籍」宣言をきっかけに開かれた特振協だったが、大山鳴動して「支援籍」一匹という感じ。このほど、そのモデル市の名が挙がったという。
 「就学支援委員会」とか「個別支援計画」というけれど、「支援」って、「計画」ってなんだろう?「10年先、20年先を見通して」って言うけど、いまの時代、社会がどうなるか、いや明日の自分が生きているのか、誰が確信もってこうだと言いきれるか?
 言えることは、自分がかって子どもであり、これからも生きたとすれば老人にもなる…そして身の回りを見渡せば、いま子どもを生きている人たち、かっての子ども時代を切り捨て、忘れて大人として生きている人たち、子ども時代の思い出をよみがえらせつつ、生きることの不思議さをもう一度生き始めている老人たち…数々の生の重なりの中で地域が成り立っていること。「10年、20年先を見通した計画」が立つかのような発想は、子ども時代を忘れ、老いて子ども時代を生き直し土へ還ってゆく自分をみつめられない大人たちの孤独なくらしが生む真昼の夢。
 介護保険、支援費など福祉の世界では、すでに「支援」が量産されている。そこで大事なのは、受ける側が、「支援」の洪水に流されず、「支援」と称する個々の商品をどう見極め、くらしに合わせて、そのつどどう調理してゆくのかということ。教育で言えば、それが成り立つためには、障害のある子も通常学級に就学することが基本であり、分けられた場で支援を受けるのはあくまで例外であると改めるべきだが、その気配すらない。
 LDやADHD等として「特別な支援が必要な子ども達」と目される子の親達の中には、従来「障害児」は手厚く支援されてきたのに、うちの子は放置されてきたと思い、やっと光が当たると元気付いている向きも少なくない。が、教育改革の目標は少数の「できる子」を引張り上げることにある。その邪魔者になりそうな子の数が全県で10万人とも計算されている(「障害児」は全県で1 万人)。この子達を通常学級から狩り出そうという計画の一端が、4月から2 市で試みられる。嵐の前の静けさ。熊谷市は特振協の委員の中でも特に分離教育の固定化を強硬に主張した飯塚氏が教育長。坂戸市は「彩の国障害者プラン21推進のつどい」で共に学んでいる体験を報告した吉井親子の地元……。(山下)