10人でやりました。今回は遠くの方の参加はありませんでした。初参加は近くのHさん母娘。娘さは特学の6年生ですが、「2年後に特殊学級や養護学校の制度の見直しがあるらしい」といううわさが親達の間で流れており、不安になり、その話を聞かせてもらおうと思って見えたとのことでした。
たしかに国レベルでは、中教審に特別委員会が設置され、今年度中に答申を出し、来年度は学校教育法の改正を行うスケジュールが進んでいるようです。また、県レベルでも、「特別支援教育コーディネーター」設置についての国のモデル事業を昨年から実施しており、今年度からは特振協の報告に基づく「支援籍」のモデル事業が、熊谷市、坂戸市などで始まり、国のいう「特別支援学級」、「特別支援学校」の実験のような動きが予定されています。特殊学級や養護学校に在籍中の子どもの親達の間では、「LDやADHD、高機能自閉症の子ども達が入ってくることで、先生が多忙になり、うちの子のめんどうが見られなくなるのでは?」とか、「支援態勢もないままで地域の学校(学級)に入れられたら大変だ」といった不安が漂っています。
これらの不安にはそれなりの根拠があるのですが、最も大きな問題は、国が「障害のある子ども達は地域の学校の通常の学級で学ぶべきではない」と定めていることにあります。だから通常の学級で共に学んでいる障害のある子どもは「本来はよその学校に行くべき子」とされ、共に学ぶための「支援態勢」についても自治体任せ、現場任せ、最終的には親任せになってしまうのです。
中1の重複障害をもつ息子さんを通常学級で学ばせているTさんは、教委から支援員が派遣され学校生活を送っていますが、まさに上に述べたような状況を背負っているわけで、しばしば教委や学校としんどい話し合いをしています。でも、息子さんはよく行き帰りに女の子に声をかけてもらい、うれしくてうれしくてしかたがないようです。転校してきて日が浅いのに、バレンタインのチョコレートももらったと、Tさんは自慢していました。
CILわらじ総合協議会事務局職員のNさんは、お子さんが幼稚園のとき仲のよかった友達が一緒に地元の小学校に上がらず、特学のある離れた学校に行ってしまい、さびしそうにしていたことを思い起こしていました。
障害者で3児の父であるYさんは、自分自身養護学校卒業で、あまり教育には関心がなったほうでした。市の障害者計画の委員になったことをきっかけに、障害が重く福祉の支援を受ける人々が一般職場で働いたり近隣の人たちの中で暮らすという発想がないことが大きな問題だと気付きました。その原点は学校で分けられてしまうところにあると感じ、そのことを計画になんとか盛り込ませたと話していました。
NJさんも養護学校卒ですが、大人になって一人暮らしを始めた後、定時制高校に入りました。クラスメートに給食やトイレの介助をしてもらっていましたが、3年になって、要望もしていないのに介助の先生が付くようになりました。そうなるとクラスの友達が手伝ってくれることはなくなりました。重い障害をもって普通の学校に通っている人たちの中には、介助を付けたいという人もいますが、そんなのいらないという人もいますと話していました。
Kさんは4人のお子さん全員が、幼い頃からわらじの会の行事に参加して大きくなってきました。長女の披露宴にわらじの会の重度のFさんが「上司」として参加するというので、先方の親戚は「どうしたらいいの?」とパニックでしたが、実際参加してみれば何の問題もないことがわかるんですよねと話されていました。
Hさんは、かって、娘さんが幼稚園でお友達と一緒に育ってきたその延長で、近所の子ども達と一緒に学ばせたいと思っていましたが、就学時健診断でふるいにかけられ、要チェックとされた子ども達だけが集められて、番号札を付けられて検査をされ、特学へのレールに乗っけられたとのこと。