前号で報じた5. 9シンポジウムの発言の報告です。翌10日には障害者基本法改正についての国会要請行動が行なわれ、埼玉からも多数参加しました。
(基調講演およびパネラー提起まで。メモを元にしていますので、必ずしも正確ではないかも。お許し下さい。この後の会場を交えての討論も知りたい方は社団法人・埼玉障害者自立生活協会「通信」をご参照下さい。)
あいさつ:八木下浩一(埼玉障害者自立生活協会理事長)
今日のシンポジウムには全国からあまり来ていない。興味のある人が少ないのは悲しい。みんなにわかってもらいたいと思う。文科省は何を考えているのか。養護学校義務化を助長する方向にもっていこうとするのはけしからん。
趣旨説明:木村俊彦(教育の欠格条項をなくす会準備会)
昨年この場所で行なわれた「福祉労働」2 0周年記念シンポジウムで、「共に学ぶことなしには共に働き、共に生きる社会はない」ことが語られた。その後、教育の欠格条項をなくす会準備会を作った。かって国際障害者年で日本のノーマライゼーションがスタートしたが、文部省の横槍で養護学校義務化が強行され、分けた上での交流教育どまりになってしまった。あれから2 0 数年、「脱施設」が謳われているが、どうにも歯切れが悪いのは教育が分けられているからだ。福祉サービス充実だけではどうにもならない。受け止めていく地域の人々の中に、受け止めていく意識が育まれていない。教育の問題でぶつかっているのは、「あなたは盲聾養護学校に就学すべき子ども」と決め付けている学校教育法と施行令だ。
基調報告:大谷恭子(弁護士)
障害者基本法の改正案に今回入った「共同学習」という言葉は意味不明ではあるが、八代さんが前に「『交流教育』というのはおかしいのはわかるが、文科省がどうしても譲らなかったのでやむをえず…」 と言っていたことを考えれば、この言葉が入ったのは、ある意味では成果といえる。
正直申し上げて、「教育の欠格条項に取り組みたい」と言われたとき、ピンと来なかった。運転免許のように、資格が取れないのを「欠格条項」と言っていたので。なるほどというところに行くのには、時間がかかった。
条文を読み合わせる中で、何が問題か確認したい。よく私は、わが国が「原則分離・別学体制」になっていると言っている。実態を踏まえて言っているのではなく、法律の条文がそうなっているということだ。学校教育法22条…親の義務として「就学させる義務」。これを受けて、施行令22条の3で「盲聾養護学校に就学させるべき故障の程度」が定められている。このうち「特別な事情のある者」は「認定就学児」。これを「原則分離・別学」で「例外統合」と、私は解釈せざるを得ない。
この法体系を、われわれはどう解釈したらいいのか。強制的に分離することは差別であると言いつづけて来たが、改正されるまでには至らなかった。これを今回、埼玉から「欠格条項」であると気が付かれて、これを改めさせようと運動を組み始めたと、私は認識した。たしかに、言われてみれば「こういうとき、お前は小学校に入れないよ」というのは、資格を奪うことだし、欠格条項の一つとして言うのは可能だと思っている。ショッキングではあるが、いいネーミングだと思っている。
この欠格条項が、いかに世界の趨勢とかけ離れているか。「基準規則」、「サラマンカ宣言」、「障害者権利条約案」の三つを比較しながら考えてみたい。基準規則は、教育においては、原則として統合。統合は国の責任。「いまだニーズを満たしていないときは」という限定付きで「特殊教育」。文部省のロビー活動により、「場合によってはもっとも特殊教育が効果的なこともある」と認めてしまった。
サラマンカ宣言は、障害者が存在することによって、健常者社会そのものが変わらなければならないことを、初めて意識した。1 9 95年の子どもの権利条約は、「可能な限り統合された環境で」と書かれている。国際的には、統合教育を基本とすることになっているにもかかわらず、最近の施行令改定でも例外的に統合ということで終わっている。まったくお話にならない。
障害者権利条約案では、明確に「インクルーシブ教育を選択することができる。」とした。「すべての人は」という但し書き付きで。「教育における特別なニーズの保障」が、「普通学校でそのニーズを満たすべき義務」とセットになっている。従来は私は、「選択」の対象は特別学校であり、普通学校を「選択」するのは後退だと主張してきた。これでは差別はなくならないと。「原則統合」の上で、どうしても行きたい人がいるなら、特別学校を「選択」の対象にすべきだろうと。ところが今回の障害者権利条約案では、普通学校を選択の対象にするという。この権利条約案は、もう一歩進んでしまった。「すべての人にインクルーシブ教育」が国家の義務として前提になっている。全員普通学級への就学、全員就学の上で、そのニーズを満たしえない場合に、それを普通学級で満たすか、特別学校で満たすかを選択できるとした。それはたとえば、男女共学が一般的に確立した上で、当然行ける共学校を選ぶのか、特別な男子校、女子校を選ぶのかというのと同じ。現在の国際的潮流はそこまで到達したと。例外なき統合を国際社会は打ち出した。
司会:千田好夫(障害児を普通学校へ全国連絡会)
いまの大谷さんの講演を聴いて、重要だと思ったのは、「教育における欠格条項」という言い方について。私もストンと落ちないので、大谷さんも時間がかかったと聞き、ああよかったと。「欠格条項」というと、ぼくには「あそこからはじき出されたので入れてほしい」と聞こえるので、何かいやだなと思っていた。普通学級に入れるというのがダメだと言われたことが「欠格条項」とも言えるということで、なるほどと。また障害者権利条約案については、これまでより狭められたなと受け取っていたので、また別の見方ができた。ただそれはわれわれの運動いかんだと思う。自分自身の学校体験をお話すると、近くの私立学校で地域の友達もいなくて、いじめられた辛い思いがある。そこからふりかえって、こういう経験をさせてはいけないと「障害児を普通学校へ全国連絡会」にかかわっている。
金子 健(全日本手をつなぐ育成会)
障害児教育学を学生に教えている。弟が知的障害。もう50才をこえた。養護学校で12年間。いまは作業所で仕事している。障害児にはこういう教え方があるとかいった研究もしていたが、いっぽうで弟との50年の付き合いのなかで、たしかに養護学校で字を覚えたりもしたが、生活を見ると、家と作業所の往復でしかない。地域での豊かな生活がほんとうにあるのかという思いを、この20年間くらい、強くしてきた。そういう立場で育成会の理事をやり、機関誌の編集長もやった。教員の立場、兄弟・親の立場、その間で苦しんだりもしている。
22条の3はずっとひっかかっていた。学校の先生方は、当然だと考えている。私もかってはそう思っていた。しかし、そもそも一緒に教育を受けるべき子ども達を分けている大元になっていると考えるようになった。したがって、「教育の欠格条項」という言い方は、当を得ている。文科省は22条の3をはずしたくない。特殊教育だけでなく、普通の教育がそれによって守られているという意識を強く持っている。
障害児の教育の場を特別に設けるということは、障害児に教育の機会を保障すると同時に、通常の教育をより効率的に進めるためのものだという位置づけが、これはどこにも書いてないが、国会の答弁や文科省の中にある。何を守るのか、それは過度の競争主義的な教育の中で一部のエリートを育ててゆけばいいということ。
普通の学校の先生たちは、「特別支援教育」の情報をほとんど持ってない。「障害児も入ってくるらしい」ということを聞いて、「とんでもない」という反応がほとんど。そういう状況を踏まえて、「欠格条項を廃止せよ」という戦術が妥当なのかどうか。そこでひるんでしまうのが、いまのぼくです。ただ、ひるむぼく自身をなんとか力づけているのは、WHO の国際生活機能分類で、「障害をその人固有の問題ととらえるのではなく、社会全体の問題として」というとらえ方。「周りが変わればその人の障害も変わる」ということ。学習障害の場合も、たとえばパソコンを使って文を書くとか、計算機を使って計算するとかいう形で周りの状況を作れば、一般の教室で学べる。「関係性の改善」とぼくは言っている。周りが変わっていくには、周りの人の気持ちが変わっていかなくてはならない。「発達保障論」は固有の障害をどう改善するかということだったが、そういった関係を変えていくことが重要。振り分けて別々に教育をすることが、必ずしもその人の教育の改善にはつながらないということを実感している。
平井 誠一(DPI 日本会議)
全障連で養護学校義務化反対の運動に関わってきた。70〜80年代は法律を問題にするよりも教委を相手に体を張って運動してきた。そのほうがやる気が出るが、法律の問題になると頭が痛い。昔ぼくは文部省闘争でしびんを投げた張本人。その時八木下さんにしかられた。
最近世の中が変わったのかよくわからないが、養護学校から招ばれることが多くなった。ぼくが受けてきた養護学校教育と、いまの養護学校教育は大きく変わっちゃったなと思う。クラス編成の問題がいい例。ぼくは義務化の前なので、能力的に高い人と低い人のクラスにしか分かれていなかったが、いまは1学年5つぐらいに分けてあり、1クラス2〜3人という感じ。先生を介してしか同じ年代の子と話ができない子が多い。そういう子が作業所に入ってくる中で、職員を通してしかおたがいに話ができない。義務化以後、大きく変わらなかったなと。進路の問題でも、職業実習の中に「デイケア」と書いてある。将来入るために行くんだと。そんなの職業体験じゃないじゃないかと思うが。ある女の子が「私は行きたくない。どうせ最終的にそこへ行くんだから、体験しなくてもいい。」と言った。ぼくらの頃は、デイケアも作業所もなかったが、いまは行き場ができ、そこへ行けば安心と。
先ほどのクラス編成のことで、「能力ってなんだろう?」と思う。うちらのところに来ると、「自分は働きたいからアニメの会社を見たい」といった場合、アニメの会社を見つけ、本人と行く。養護学校では、「能力的に無理だから行く必要ない」ということになってしまう。養護学校の子どもに聞くと、そう言っている。僕らのころはいろんな会社に実習に行ったが、いまは先生の段階、親の段階で「やっても無理だから」とストップをかけてしまう。そんな中で支援費制度が導入された。「自己選択・自己決定」というが、その子達がほんとにサービスを決定できるのかといえば、ほとんどしていない。養護学校教育はやはり特別なところの教育でしかないのではないかと思う。
野島 久美子(教育の欠格条項をなくす会準備会)
私は33歳のとき埼玉県立与野高校定時制を受験しました。2 度目でやっと入学が認められました。
学校は設備がなくて、学校へ行く前に、通り道の与野本町コミニティセンターで必ずトイレをすませて行きました。そして、私がいるために1年生は1階の教室を使いました。学校のトイレはポータプルトイレをおいて洋式タイプにしてくれました。3人しかいない女子の同級生に手伝ってもらいました。体育館への移動でも木のスロープをつけてもらいました。学校の中では若い同級生と一緒に勉強したり、おしゃべりしたり、差別的な先生の簿記の授業をボイコットしたりしました。
初めての遠足のときに担任の先生から『介助者を連れてきなさい』といわれました。
ふだんだって一人で歩いているのに学校になるとなぜ介助者をつけなければならないのかと思って先生に言いました。そしたら校長室に閉じ込められて、知り合いの近藤さんに助けを求めました。校長、教頭、担任と近藤さんと私で話し合いました。学校側が今日はわかりましたと言ったので帰りました。翌日集合場所の大宮駅へ一人で行きました。すると、先生がうって変わって大変親切でした。それでみんなと一緒に横浜へ遠足に行きました。大変楽しかったです。
ただ、給食室が地下にあったため階段があり、給食を食べさせてもらえませんでした。コンビニ弁当を教室で一人で食べていました。毎日コンビニ弁当でいやになりました。3年半ぐらいたってスロープをつけてくれて、やっと食堂でみんなと一緒に給食を食べられました。給食がこんなにおいしいと思いませんでした。
ただ楽しいことばかりではありませんでした。2 年生のときはやめようと思いました。ある程度学校にも3 年間行ったし、疲れてきたし、わらじの会へ行くとなんで学校ばかり行くのか言われて非難されるし、つまんなくなって、もういいやと思いました。だけどここでやめちゃもったいない気もするし、やめるのは簡単です。そして入った頃の自分のことを思い出して、皆の顔が浮かんできて、もうしばらく頑張ってみようと思いました
。 私はずーっと昼間は、わらじの会のケアシステムわら細工の仕事や、その他の障害者運動の活動などをしていました。わらじの会ではあれをやれ、これをやれといって、それがうるさいので3時になると学校へ行くよと言って逃げました。学校を逃げ場にしていました。それが一番の快感でした。学校へいくと生徒に変身してしまいました。
でもわらじの会ではだれとでも話が出来たのですが、学校では若い男子の生徒とは話が出来ませんでした。なにを話していいのか分かりませんでした。
3年目の2年生のときから移動教室があり2階へいくことになり、キャタピラ付の昇降機を使うようになり、そのときから要求したわけでもないのに介助の先生がつきました。
高校を卒業してから、学校問題ははずせないということで、1年に数回、県の教育局と話し合いを持っています。特に高校の定員割れ不合格の件についてはずーっと続けてやっています。その中で障害児の高校受験に際して不利益にならないようにという県の通知の中で、『介助員をおくことは定数法上できないので留意すること』というような文章があります。私達はその文章は合否判定のときに障害がある人、イコール介助の必要な人であり、入学には気をつけなさいよと言っていることであり、障害を理由に受け入れ拒否を示唆しているとして、この文章の削除を要求してきました。
そして、昨年10 月にこれを欠格条項と位置づけ、削除を要求する署名活動などを行ないました。私達の主張は「介助を保障しろ」ではなく、「分けるな」です。教育局は『今後、介助のあり方を研究する』という文言を付け加えただけで、私たちの要求を無視しつづけています。これからも継続的な交渉をして行く予定です。
介助者:竹迫 和子
野島さんが高校に通うときにいろんなトラブルがあったが、介助者が付く前は、「こんなことがあって大変だ」とか生き生きと話していた。介助者が付くようになってから、トラブルもなくなったが、生徒同士の関係も浅くなった感じがする。「特別な教育的ニーズ」とかいうが、やはりまず入っていくことがいちばん大事だと思う。その意味で、施行令を欠格条項としてなくすことが大事だ。
大谷恭子(弁護士)
22条の3を紹介したとき、5条を紹介し忘れた。5条の1で「その心身の故障が、第2 2条の3の表に規定する程度のもの(以下「盲者等」という。)以外の者」が普通学級に入れますということで、外してしまっている。これこそが欠格条項だ。その次の2で「適切な教育を受けることができる特別の事情があると認める者(以下「認定就学者」という。)」とある。けっきょくは、スロープのある学校ならば特別にいれますよという敗者復活戦、それこそ欠格条項だと思う。
あと、平井さんの話を聞いて。いま文科省が「ニーズ保障」はさかんに言っているが、その「ニーズ保障」が個別化、細分化してしまっているのが、非常に危険だ。「統合された環境の中で」というのがないと、どんどん一人一人細分化してゆく。まずやるべきことは、「統合」を国の義務として確立することだ。