お便り 修学旅行 今年こそは楽しく!!と…

吉見町 篠田三千代

 秋の長雨が続いていた10月5日、午前7時20分、小学校の校庭から日光方面にバスは出発した。一泊二日の修学旅行の幕開けだ。
 引率する先生に抱えられ、バスに乗り込む我が子に「楽しんでおいで!」と声をかけた。これから始ま る修学旅行への不安と期待で緊張してごわばっている娘の顔は、ほんのりと緩み笑顔でうなずいた。
 私の他にも.保護者が10人ほど見送りに来ていた。みんなのロから出るのは、「向こうは寒いから.持たせた洋服だけで大丈夫かなぁ…。」「もう、行っちゃったんだもんね。心配してもしょうがないよね。」などと、子供の事を心配している言葉 ばかり。同級生のお母さんからそんな言葉を聞くと、単純な私は(子供と離れ、不安なのは自分だけではない。私もみんなと同じ年の子を持つただのお母さん)と安心する。それに何より、去年とは違う!!
 バスに向かって.笑顔で手を振り見送ることができた。

 先月の中旬に、校長と担任と私の三人で事前に話し合いをした。その時、校長先生は「最善の対応を考え、できる限りの事はします」と言ってくれ、戦場ケ原や華厳の滝、東照宮など車椅子 で行けない所も工夫してもらえる事になっていた。又、結花の事を私達 大人だけで考えるのではなく、クラスや班でも話し合ってもらえるように担任に頼んだ。
 例えば、家康のお墓に行くためにはねむり猫の下を通り207段の階段を上らなければならない゜その時に結花をどうするのか、子供たちになげかけてほしいといった感じに。その結果、班員の子供 たちが交替(1人○○段と決め)でおんぶすることになった。しかし.当日は残念なことに、どしゃぶりの雨の為それば実現しなかったが、話し合ってくれた事がとても嬉しい。
 見送りを済ませ自宅に帰って来ても、そわそわしてなんだか落ち着かない。
 「雨だと戦場ケ原はどうなるのだろ….東照宮は?雨で足元が滑りやすくなっているからなあ」
 気がつくと、そんなことばかり考えている。
 でも、やっぱり、そんな状況になっているのは私だけではなかった.
「娘の事が気になって仕方がない」と、同級生のお母さんの Sさんから電話がきた。我が家でお茶を飲みながら気を紛らわす事にした。結局、午前中からの二人のおしゃべりは4時半まで続いた‐
 午後8 時半過ぎ、子供から電話があったとSさんからメールがきた。
 雨のため、予定を変更して二日目に行くことになっていた東照宮に行き、結花も T先生がおんぶして家康のお墓の所まで行ったとのこと!天候が悪くてもちゃんと見学ができていることにほっとし、結花が先生に負ぶわれ、楽しそうにおしゃべりしている姿が浮かんできて、ツーッと出てくる嬉し涙はなかなか止まらなかった。
 きっと帰ってきたら、楽しかった出来事を一度に全部話したくて、言葉が結花の体中から音よりも先に あふれででくるに違いない。会えることを楽しみに安心してぐっすり眠った。やっぱり、去年とは違う!!

 予想は的中!
 結花は私の顔を見たとたん、興奮し体中に力を入れ小鼻をふくらませながら次々にしゃべり始めた。
 みんなとお風呂に入ったこと。東照宮でのこと。戦場ケ原で虹を見たこと。華厳の滝でのこと。
 夜更かしして12時まで友達としゃべっていたこと…。 話が尽きない。

 「楽しい思い出がたくさんできて 本当によかったね!」と 何度結花に言ったか分からない。
 去年の宿泊学習は、当曰、突然にバスの定員がいっぱいだからと乗せてもらえない出来事から始まり、めちゃくちゃだった。−年半がたとうとする今も、あの時、家族みんなの心がえぐりとられたように痛く辛かったことを思い出すと、怒りで体が震え眠れなくなる。
 結花の心は.それ以上に傷ついている。
 修学旅行の前、担任に「去年のような嫌な思いはしたくない」と、何度も言っていた。私には「嫌なことは忘れよう」と言った。修学旅行が終わった今も、「去年のように嫌な思いをしなくてよかった。」と、楽しい思い出を話しながらふと言ったりする。
 去年は辛い思いをしたけれど.でもあの時、多くの人が応援してくれたおかげで、今年は最初から分けられることなく、友達と同じ景色を見、風を感じ、友達の思い出の中に結花がいることがとても嬉しい。

 あんなに辛い思いをしても、ここから逃げ出したいと思わないのはなぜだろう…。
 あんなにも辛い思いは、見栄や世間体なんかでは決して乗り越えられない。ここにいることが当たり前だから、今いる場所を良くしようと頑張れる。
 結花は、勉強がスムーズにできるわけではないのに、どうして楽しそうに学校に行くのだろう…。
 辛いことがあっても.そこが自分の学校だと分かっている。辛いことばかりではなく、楽しいことがたくさんあると知っている。
 そして何より、ここにいることが当たり前だと思っているからだと思う。

学習障害児の授業選択
県教育長が導入表明
熊谷、坂戸市で試行

 通常学級に在籍する学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)のある小中学校の児童・生徒が養護学級や養護学校でも学べる制度について、稲葉喜徳県教育長は十八曰の記者会見で、「今後、熊谷市と坂戸市で試行し、支援の在り方について研究してもらうと述べ、制度導入に踏み切る考えを正式に表明した。
 この制度は「特殊学級支援籍」「盲・ろう・養護学校支援籍」と呼ばれるもので通常学級に学籍を置いたまま、教科ごとに通常学級と養護学級、養護学校を行き 来しながら授業を受ける。
 特別支援教育課によると通常学級で学んでいるLD児やADHD児は県内に合計約一万七千人いるとみられており、これらの児童・生徒が授業についていけないことが問題になっている。
 「特殊学級支援籍」「盲・ろう・養護学校支援籍」の制度では学級の担任がLDやADHDの障害を持つと見られるを児童について同制度の活用を保護者に相談し、保護者の同意があれば、医師や臨床心理士などによる専門チームが障害の程度を判定し制度を利用するかどうかを決める。
 熊谷市にはすでに判定のための専門チームが設蘆されており、年内にも同市でモデル校を二、三校指定する方針だ。坂戸市では今後専門チームを整備し、来年度からモデル枝を指定したい考えだ。 児童・生徒の具体的な交流方法については検討中だが、養護学級の児薑・生徒が、体育や美術の交流授業で通常学級で学んでいる時間を利用して、週に数回、養護学級の担任が、LDやADHDを持つ児童・生徒に指導を行うことを想定している。
 同課によると、LDは教科書や黒板の字を読んで理解するのに困難をきたすなど、読み書きや計算などの分野で著しい困難がみられる障害。またADHDは注意力散漫や多動・衝動性を持つ障害で落ち着きがない、注意力が持続できないなどが特徴で、授業に集中できないなど曰常生活に困難が生じることがある。(読売県版・10 月19 日)

 「全障害児に普通学級籍を」という前知事の宣言を受けて昨年行われた「埼玉県特別支援教育振興協議会」は「泰山鳴動してねずみ一匹」。「場を分ける教育」という「泰山」を見直すとしながら、見直さず、「支援籍」というねずみを使って、「分ける教育」をさらにきめ細かくしようという方向を示して終わりました。
 その「支援籍」のモデル事業が熊谷と坂戸で始まっています。いま行われているのは、盲・ろう・養護学校から地域の学校への「交流」に「支援籍」を用いる形。居住地の学校に行くこと自体は悪くないが、実態は相変わらず行事レベルの「交流」でしかないことは情けないし、やる気が見えません。そんな中、教育局は通常学級の子ども達に特殊学級、盲・ろう・養護学校を含めた「通級」等をさせるために「支援籍」を用いると発表しました。
 まちがわないでいただきたいのですが、この子ども達はこれまで「特殊学級や盲・ろう・養護学校が適切」と判定されながらも通常学級にいる子ども達ではありません。その子達は「本来ここにいるべきではない子」だから、何の支援も考えないでいいと思っているのです。その上で、これまで「普通の子」とみなされてきた子ども達を「支援籍」の手を借りて、特殊や養護にも行けるようにしようという話なのです。これまで「親のしつけが悪い」とか「根性の悪い子」だとか責められてきた親子の中には、無実の罪が晴れ、個性が大事にされると歓迎する向きも多いようです。でも、よく考えてみてください。ベースになっている「障害のある子は分けたほうがいい」という教育、「他の子ども達の足をひっぱらないように」という教育はまったく変わっていないのです。「障害児並み」になることをほんとに喜んでいいのでしょうか?