中教審・特別支援教育特別委員会「中間報告」ってなんだ

みんなで「分けるな」と言おう!

 今月24日締め切りで、文科省がパブリック・コメント(公開意見募集)にかけている「特別支援教育を推進するための制度の在り方について」(中間報告)は、きわめて重大な内容を含んでいるにもかかわらず、あまり知られていなかったり、誤解も多いので、かんたんに紹介したいと思います。なお、中間報告の全文および意見の出し方については下記のURLで文科省のホームページをご覧になるか、TOKO編集部にお問合せください。

http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2004/04120103.htm

1.分ける教育は変わらない

 まず確認すべきなのは、これまでの「分けることを原則とした教育」は変わっていないことです。
 「中間報告」では「場を分ける教育」から「一人一人のニーズに合った教育」への転換を強調しています。
 しかし、これまでの「障害児は特殊学級・盲聾養護学校(軽い子は通常学級から通級指導教室)へ」と定めた学校教育法施行令22 条の3 等はそのままです。では、なぜ「場を分ける教育」から転換するかのような言い方をしているのかといえば、盲・聾・知的・肢体・病弱と分かれていた特殊学校の制度を、重複障害児や地域の実情に合わせた対応ができるよう「特別支援学校」というくくりにするということがひとつです。
 もうひとつは、これまでの特殊教育の枠には入っていなかった「LD、ADHD、高機能自閉症等」とみなされる通常学級の子ども達を、通級指導教室の枠に入れたり、特殊学級担任が関わったり、「特別支援学校」の巡回指導ができるようにしようということです。だから、場を分ける教育は変わらず、さらに多くの子ども達をその場の下に集めてゆこうとしているのです。

2 通常学級での「場を分ける教育」とは

 「LD、ADHD、高機能自閉症等」と診断された子供の親たちの中には、先日国会を通過した「発達障害者支援法」と合わせて、「ようやく光が当たってきた」と歓迎する向きも多いようです。しかし、その「光」が「障害のある子は障害に応じて場を分けて教育することが適切だ」という原則に裏付けられた「光」であることの意味はご存知ありません。
 それを誰よりもわかっているのは、就学指導委員会に「言葉が出ないから」、「車椅子だから」養護学校が適切だと判定されながらも近所のお友達と一緒に通うことを貫いた親子です。遊んだりけんかしたりする中で、子ども達は教員よりもずっとコミュニケーションや介助のしかたを工夫し、育ち合っていきますが、教委の扱いとしては「本来ここにいるべきでない子」、「他の子ども達の学習の妨げになる子」とされ、親の付き添いを強いられたり、行事・授業への参加を制限されたりすることもあります。「LD、ADHD、高機能自閉症等」とみなされた子供の場合籍は通常学級ですが、通級指導教室や特殊学級や「特別支援学校」の指導を含む「支援」を受けるに際しては、これまでの「場を分ける教育」の原則に沿って、その「特別な教育課程の編成による指導」が適切な者の「範囲・要件」の検討が必要と「中間報告」は述べています。
 また、教育と福祉・医療等の他分野の連携で作るとされる「個別の教育支援計画」についても、「中間報告」は「就学事務における取り扱いなどを検討する必要がある」と述べています。
 これを見ると、「特別な教育課程の編成による指導」が適切とされた子が、「分けられずに一緒に育つ」ことを貫こうとすれば、やはり「ここにいるべきでない」、「親のエゴ」とみなされてしまうだろうと推測されます。

3.分けられた場でさらに分けられてゆく

 「特別支援学校」について、「障害種別を超えてつながってゆく一歩」と誤解する人がいます。
 誤解であることを証明している統計が「中間報告」の参考資料に入っています。それは盲聾養護学校の重複障害学級の在籍率です。
 いま盲聾養護学校に在籍する子供の半数近くが重複障害学級に在籍しています。分けられた場で更に分けられているのです。これを「中間報告」では、「障害の重度化・重複化」と言っていますが、逆です。
 分けられることによって、コミュニケーションが乏しくなったり、手がかかるようになるのは当然です。盲聾養護学校全体の在籍数を見ると、知的障害が大きく増加しており、盲、聾、病弱の順で減少しています。
 子供が減っているにもかかわらず、知的障害を中心に在学者が増えたこと、すなわち知的障害を中心に「養護学校へ」という就学指導を強めた結果、ふくれあがった養護学校内で「重い」子ども達の囲い込みが進行したのです。
 「特別支援学校」はこの流れを止めるのではなく、校内で障害別の部門を作るなどの工夫を含めて、地域の実情に応じさらに多くの障害児を集め、囲い込んでゆくために制度の枠を広げただけです。

4.「交流と共同学習」のほんとうの意味

 固定式の「特殊学級」を廃止し、通常学級に籍を置いて指導や支援を受ける場に変える「特別支援教室」実現は、今回は見送られました。
 現に在籍する子供の親からの反対や教員配置の問題などにより見送ったとされています。
 しかし、構想実現をめざすことはいぜんとして「中間報告」の基本にあり、その一歩として「現行制度の弾力的運用」が提案されています。
 そのひとつに「特殊学級における交流及び共同学習の促進と担当教員の活用」が入っています。
 「特殊学級に在籍する児童生徒が通常の学級で学ぶ機会が適切に設けられることを一層促進すべきである。」と書かれています。学習指導要領で「交流の機会を設けること」とされているのに、「その趣旨が徹底されていない場合も見られる。」とも述べています。
 (特殊学級で交流の機会が乏しいと嘆いている親御さんは、これをタテに学校・市教委に迫っていいと思います。)とはいえ、「中間報告」では障害者基本法に盛り込まれた「交流と共同学習」を専ら「交流」の意味で用いていますが、「共同学習」とはほんとうは特別な場に分けられずに共に学ぶという趣旨を文科省等との妥協によりこのようなあいまいな表現となったものなのです。

5.競争と秩序の防衛――「特別支援教室」構想

 固定式の学級を廃止し「特別支援教室」に変える構想は、たんに教育費削減が目的というだけではありません。
 通常学級の中で、「LD、ADHD、高機能自閉症等」とみなされる子どもたちと他の子ども達の間を分け隔てる(見えない壁をつくる)、ということが基本です。
 なぜそのために「特別支援教室」なのかといえば、「LD、ADHD、高機能自閉症等」の枠に入れる予定の子ども達の数がケタちがいに多いからです。この「中間報告」では通常学級の子どもの「約6%程度の割合で存在する可能性」としていますが、「参考資料」から試算してみると、その数は特殊学級にいる子と通級指導教室に通っている子を合わせた数のなんと6倍にもなります。だから今「LDに理解を」などと望んでいる人たちは、その中のひとにぎりでしかありません。そんな多くの子ども達を発掘し、「支援」する態勢を整えるために、特殊学級にいる8万6千人の子ども達を「特別支援学校」と「通常学級」に振り分けることによって、通級などを基本とする学級に改造する構想がつくられたのです。
 では、なぜ国あげて「LD、ADHD、高機能自閉症等」なのでしょうか。中間報告では、この子達に適切な支援をすることにより「いじめや不登校を未然に防止する効果」があるとしています。いまの学校制度がはらんでいる矛盾を、この子達を取り出すことにより押さえ込むというのです。そして、「障害の有無にかかわらず当該学校における児童生徒の確かな学力や豊かな心の育成にも資する」と言い切っています。
 「手のかかる子」を別コースに出すことで、残った子供同士の競争を促進させるとともに、理解する側・される側という関係を固定化し、学校秩序を安定させる…「ADHDと少年犯罪」を云々するマスコミ報道が目立つ昨今、競争と秩序の防衛のために子ども達が分けられてゆくことを痛いほど感じます。