(寄稿)就学相談記録

近所の学校に入るまで

田代 眞一 (蓮田市)

 このTOKO をいつも紹介してくださっている「埼玉県ダウン症ネットワーク(SDN)」のホームページのスタッフで、「くれよんたうん」代表の田代眞一さんが、お子さんのサトシ君の就学相談の記録を送ってくださいました。
 「よりよい教育的環境を子どものために選ぶということも、親としてお考えになるべきではないでしょうか?」、「なにもわからないまま6年間過ごすのは苦痛ではないでしょうか?」、「サトシ君自身としては、楽しい学校に通いたいよ、と言うのではないでしょうか?」などなど、洗脳を試みたあげく、意志が固いと見ると、「養護学校で教育を受けられるほうがよいのではとなりましたので、その旨お伝えいたします。」けっきょくは、学校教育法施行令22条の3 に基づく一律の判定が初めからあり、それに一致させる(教育委員会の業界用語では「自己指導」)ための「相談」でしかないことが、よくわかります。
 田代さん、ありがとうございました。つづきを楽しみにしています。

●第1回目 : 11月12日(金)午前9時〜11時

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市役所内にある相談会会場(3階)に向かう。受付には、市教育委員会職員のほか、子育て相談課職員、小学校教諭(普通学級・特殊学級)、養護学校教諭、元養護学校教諭などが待機。 ※これらの面々は、就学相談委員会として組織されたもの。

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 氏名が確認されると、子どもと親が別々の部屋に通される。しかし、最初、状況が飲み込めないサトシは、私にぴったりくっついて離れない。そこで、「サトシ観察用」の部屋に一緒に入り、少し慣れるまでいる。幸い、ボール遊びで気持ちがほぐれたのか、すぐに打ち解けたので、悟士を残し別室に移る。

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※サトシの部屋には、担当職員が6〜7名おり、遊ばせながら?様子(協調性、順応性、知的状況など)を見たようだ。

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 別室には、小学校特殊学級の教諭2名と普通学級教諭の合わせて3名、そしてサトシの様子を見るために出入りを繰り返す市教育委員会学校教育課の方が同席した。
 まず、最初に、あらかじめ記入した「就学・転学相談票」と、参考用としての母子手帳を提出。そして、出産時や成長過程、および障害の程度(合併症の有無、特別なケアが必要かどうかの有無)が問われる。

 これに対しては、出産後に多血症と黄疸で緊急入院したこと。その入院時にダウン症であると告知されたこと。そして、幸い合併症はなく、肺炎で2回入院したものの、順調に育ってきたことなどを説明。身体的・病状的には問題がないことを強調する。

 さて、発達状況の確認をした後、本論である就学先の話に入る。提出書類「就学・転学相談票」で、「普通(通常)学級でお願いします」と明記していたので、なぜ普通学級なのかの質疑応答が繰り返される。
 曰く、「保育園と違って、一定の時間枠での授業となるが、それに適応できるのか」、「言葉による指示、指導が多くなるが、それについていけるのか」 などなど。
 これには、「障害の有無に関わらず、どの子も新しい環境に順応するには時間がかかるはず。確かにダウン症である悟士は、ほかの子より多少の時間はかかるかも知れないが、健常児と共にいる保育園でも何ら問題なく過ごしているのだから、順応してくれると思っている」。

 「言葉は、まだまだ2語文がでない状況にはあるけれど、こちらが話す言葉にはそれなりに理解を示すことができるので、なんとかやっていけると思っている」 などと答える。

 また、「普通学級でやっていく時に心配な点は?」との問いに対しては、「まず、トイレの問題があるでしょう。家や保育園では洋式トイレでやっているが、小学校ではそれを利用することができるのでしょうか?(答え:1箇所しかない) もちろん、オシッコは立ってできるように訓練はしていくつもりで、いずれできるようにはなると思うが、当面、その問題が考えられます」。

 「それ以外として、教師や同級生とのコミュニケーションの問題もあるでしょう。しかし、これも、時間と共に言葉は増えていくでしょうし、相手がそれなりに対応してくれるでしょうから、なんとかなると思っています」。 「ただし、いじめや適応上のストレスで、登校拒否のような状況に陥った時は、特殊学級で熱心に教えられているベテランの熊谷先生にお願いする・・・ということもあり得ると考えています。それはその時々で適切に対応したいと思っています」 と答えた。

 「では、登下校の問題は?」

 「体力的な側面、および交通事故に遭わないという観点から、本人が通学路を覚え、信号等に適応し、また、通学班の子どもたちについていけるようになるまでは、親の同伴ということも覚悟はしています。しかしこれも、時間の問題と思っています」。

 「なるほど、わかりました。しかし、今日、サトシ君の様子をうかがうと、とても積極的で、他者との関わりを能動的に求めようとしておりますよね。このよい状態をさらに伸ばしていくには、それなりの教育的環境が大事かと思うのですが・・・」

 「おっしゃりたいことは、なぜ特殊学級に入れないか?ということですね。これに関しては、私は次のように考えています。 サトシが成人したときに大事なものは何かなのですが、それは社会性の獲得です。もちろん、学校で習得する知識も大切ですが、それ以上に他者との関わり方を会得していくことが大事であると考えています。そのためには、普通学級でほかの子ともまれながら関係性を学んでいくこと。また、それによっていろいろな刺激がいただけるであろうと思っています。私は、以前、養護学校と特殊学級の見学をさせていただきましたが、とても丁寧に、また熱心に子どもたちに接しられ、教育的配慮に富んだ環境で教えていられることに感服させられました。 しかしその一方で、こうも思ったのです。“守られすぎている”と。 実社会では、障害者に配慮したような仕組みにはなってない。むしろ、その逆で、就労状況はますます悪化の一途をたどっています。あえて言わせていただくならば、1979年の養護学校義務教育化以降、手厚い教育的環境が形成されたにもかかわらず、社会のほうはまったく変っていません。結果、卒業後、社会に出る場がほとんど与えられない状況が続いています。そうした中で、この子が成人していく過程で身につけておくべきことは、対人関係を円滑に結んでいくための社会性ではないか、と。それが実社会での生きる力になっていくはずだ、と思っています。 そして、その力を育むためには、守られすぎている養護学校や特殊学級ではなく、普通学級でお願いしたい、ということです」。

 「確かに、おっしゃる通りです。でも、サトシ君のことを考えると、いろいろな選択がある中で、はたして普通学級に進むことがよいことなのか、もう少しお考えいただきたいのです。 というのも、普通学級では、大勢の子ども達の中でのひとりとしてしか扱われないことになるはずです。特殊教育を長年やってきた立場から言わせていただくと、折角、素晴らしい状態で育てられてきたのですから、学校においても、それをどんどん伸ばしてやりたいと、私は思うのです。よりよい教育的環境を子どものために選ぶということも、親としてお考えになるべきではないでしょうか?」

 「おっしゃる意味はわかります。私も、そう思います。 そして、望むことならば、文部科学省がどのような内容を考えているかは存じませんが、個別支援教育プログラムというものが実施されるというのであれば、それを普通学級でやってほしいと思っています。しかし、現状では、それは望めないというのであれば、何を優先順位として選ぶのかとなるわけで、その場合、あえて極端に言うならばですが、特殊学級での素晴らしい教育的環境よりも、普通学級でほかの子と交わることでの社会性の獲得を選びたい、となるのです」。

 「でも、サトシ君にとって、本当にそれでよいのでしょうか? 極端な話、普通学級で学ぶ喜び、できたという達成感が得られるのは難しいのではないでしょうか。サトシ君の学校生活を考えた場合、これはとても大切なことだと思うのですよ。なにもわからないまま6年間過ごすのは苦痛ではないでしょうか? それでもかまわないのですか?」

 「多分、このお話は平行線になると思いますが、私としては、自分のことを振り返ってみても、勉強が学校の生活のすべてではないと思っています。友達とともに過ごすこと、これも学校における大事なことだと思っています。 もちろん、丁寧に教えていただき、それによって学ぶ喜びを感じてもらえるのなら、それを望みたいと思います。ただし、それは普通学級においてです。
 さきほど申し上げた特別支援教育ですが、これの実施に際しては、普通学級でのこともあり得るわけで、その場合、障害のある子だけでなく、教える側の教師の質も問われることになるわけですよね。(「耳の痛い話ですね」と言いながら笑う) 私としては、それを望みたいと思います。それから、普通学級に私がこだわる理由はもう一つ、健常児側の理解やサポートを得ることもあります。知的障害のあるサトシは、当然のことながら、何らかの援助・支援が無ければ生きてはいけません。さらに、この地域で生きていこうと思ったら、この地域の人たちに認知してもらう必要も出てきます。 ですから、仲間意識、友達意識をもってもらうためにも、普通学級に通うことが欠かせない、となるのです。ご理解いただけますか?」

 「おっしゃることはわかります。私も、同感いたします。 ただ、サトシ君の立場に立ったとき、本当にサトシ君はそれでよいと思うでしょうか? サトシ君自身としては、楽しい学校に通いたいよ、と言うのではないでしょうか?」

 「(皮肉をこめて)悟士の気持ちを代弁していただいて恐縮です。 でも、普通学級でもまれながら社会性を獲得すること、そして、サトシを通して障害のある人との接し方を理解・学んでいただくこと。これが、長い目で見た場合、サトシのためでもあり、また、この地域、さらには日本の社会がいずれ変わっていくことの一助になるはずと思っておりますので、ほかのどのことよりも優先事項とトップとなるのです。 というわけで、いろいろとご苦労をおかけするとは思いますが、よろしくお願いいたします(あくまでも低姿勢での応答に徹する)」。

 以上、就学相談委員とのやりとりは、大体このようなものでした。

 そのなかで、繰り返し問いかけられたのが、「なぜ、普通学級なのか?」、「なぜ、ほかの選択肢(特殊学級・養護学校)を選ばないのか?」、「本人のことを考えたなら、よりよい教育環境のところを選ぶべきではないか?」、「本人にとって、丁寧な対応が受けられない普通学級では、楽しくないのではないか?」でした。 そして、普通学級を選んだものの登校拒否に陥って、結局、特殊学級に転入し、落ち着きを取り戻した事例などを挙げ、再考を促すのでした。
 ただし、これらの話し合いは淡々としたもので、時には雑談、時には笑いが出るようなこともありました。 とはいえ、どうすればこちらの意志がぐらつくか、あるいは考え(論理)のほころびをつくかといった、探り探りの質疑応答が繰り返し続けられました。

 いずれにせよ、「最終的に保護者の希望を受け取って、後日、教育委員会(就学相談委員会)において検討し、委員会としての見解を面談にて通知。さらに、そこでのやりとりをして、最終決定を行うということで、最低でもあと2回は通うことになるでしょう」 とのことでした。
 そして10時30分すぎ、面談終了。
 サトシのいる隣室に行くと、ちょうど子育て支援課のMさんに遊んでもらっていて、とってもご機嫌のようでした。そこで、遊んでいただいた?(もちろん、これが観察・チェックになるわけですが)ことに対して丁重にお礼を申し上げ、退室となりました。

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11月17日(水)午前9時半ごろ市教育委員会より電話あり。

 先日の就学相談への出席の謝意を伝えたあと、「あの後、就学指導委員会で検討した結果、お父様が主張された“社会性を身につけること”に対してのお気持ちはよ〜くわかりましたが、サトシさんの状態を見させていただいての判断としましては、“養護学校”で教育を受けられるほうがよいのでは」となりましたので、その旨お伝えいたします。ご了解いただけますでしょうか?

 特殊学級を勧められると思っていた当方としては、「養護学校」の判定に、いささかガッカリしたが、少し話を聞くと、悟士の判定に立ち会ったなかの一人に養護学校長がおり、それが「養護学校が妥当」と結論付けたようである。その後、先方は、「本当に、ご意向に添えない結論で恐縮なのですが、お母様ともよ〜くお話合いをした上で、またご相談させていただければと思いますので、よろしくお願いいたします」と言ってきた。

 いずれにせよ、こちらの要望は変わらない旨を伝え、次回、再度の話し合いをすることで電話をきることにした。

 2日後、市教育委員会担当者より電話あり。
 「あまり先に延ばしてもしようがないので」ということで、いくつか挙げた候補日から、一番早い11月24日を選ぶことにする。

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●第2回目 : 11月24日(水)午後1時〜2時

 教育委員会担当者と就学委員会副委員長の元教諭(30年ほど前に複式学級で教鞭をとり苦労した経験あり)の2人と面談。

 まず始めに、なぜ養護学校の判定をしたかの説明を受ける。
 曰く、  「ジャンプはできるので、足は達者だとは思いますが、バランス感覚が計れる 片足ケンケンはできませんでした。階段の上り下りに関しては、上るのはよくできるが、下りは手すりを持たないとできなかった。 お絵かきは、丸をよく描くけれど、それ以外のものはあまり書きませんでしたが・・・アンパンマンが好きだからですね・・・なるほど。 ただ、こうしてというこちらの指示に対しては、気分が乗ればやるけれど、そうでないとまったく興味を示さない。 だいたい、2〜3分で別のことを始めるなど、むら気が多いようにも見受けられました。それから、言葉は、アンパンマンはよく聞き取れましたが、それ以外はあまりということで、難語から一語文への移行期ではないかと思われます。 また、型はめですが、丸や三角など単純なものは、あれこれしているうちにはめこめるのですが、ひし形のようなものになるとダメでした。
 で、問題は、悟士君の行動ですね。どうも、周囲の関心をひこうとするためでしょうか?クレヨンや鉛筆を投げつけるといった行動や、イスや机から飛び降りようとしたり、鍵をあけてテラスや廊下に出ようともしました。ダメ、というと、よろこんでもっとしようとする。これは危険です。ケガをしたら大変です。普通学級では、サトシ君だけを注意しているわけにはいきませんので、このような行動が頻発すると、対処できないことになる。クラスとしても、サトシ君にふりまわされることになる。
 ということで、ゆっくりと集団行動や学校のルールを学んでもらいながら、勉強のほうもしてもらう養護学校という判定をしたわけです」

 このように、できないこと、問題であることを淡々と説明された。障害児であるのだから、できないことがあるのは当たり前のはず。なぜ、この子の、できるところ、伸びるであろう可能性の芽をみようとしないのだろうか、といささか憤りを覚えたが、その怒りはぐっとのみこむことにする。そして、淡々と以下のような答え方をした。

 これに対しては、しかし、学びとる能力があるはずなのだから、すこし時間はかかるかもしれないが、いずれ対応していけるはず。当方も、それなりに訓練させていく、と。

 結局、1時間半ほど話し合いをしたが、この日も平行線のままで終わる。

 ただし、先日のサトシの様子が非常に多動的であるとの指摘があったので、「普段はとてもおとなしいはず」と反論。現在通っている保育園で、動き回って大変だといったクレームはきたことがない旨を伝えると、ならば、「普段の保育園での様子を見たい」との要望が出され、その視察後に再度話し合う、ということになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく