春日部市教育委員会と話し合いました

 本誌前号に載せた「確認事項」および「就学指導の抜本的見直しに関する提案」に基づいて、春日部市教委と2月25日に話し合いを持ちました。こちらの参加者は15名。教委からは就学指導担当の伊藤さんと前任者の鎌田さん等が出席しました。通常学級に学ぶ親が付き添いを強いられている状況に対し、どうやって学校全体で受け止めてゆくか、また「本来は別の学校が適切」といった就学指導をどう改めてゆくか等について話し合いました。この中で、市教委は、庄和町との合併に際し、就学指導委員会を就学支援委員会に再編成する中で、それらの課題を考えてゆくと答えました。

伊藤 (鎌田氏から引き継ぎ2年目。市内の小学校教員だった) 2002 年の確認事項から基本的に考え方のスタンスは変わっていない。あくまで保護者の意向を尊重している。通常学級の中では設備が整わない現状があるので、保護者に協力を働きかけている。介助者の人件費など、希望を叶えられない面があるが、少なくとも通常学級希望者には気持ちの面で負担なく教室に入っていけるようにと、学校へは学校長を通じて話している。今年度は保護者の希望によって、内牧小に情緒障害特殊学級を新設した。普通校へ通いたいが、その中で個別指導を受けたいとのことだったので。教育委員会でも、どこの家に障害児がいるのかを把握して、就学前から相談にのっていくこと、縦の連携が大事と考えている。また、春日部市と庄和町の合併に際して、就学指導委員会から就学支援委員会に改めていくべきと考える。地域交流については、A小で1名、B小で1名と、わずかながら始まっている。保護者の意向があれば、教育委員会が間に入って学校と話せる体制が大切と考えている。

TOKO 保護者の気持ちに負担がかからないようにと校長に伝えたというが、どのような話を校長にしたのか。

伊藤 学校はまず構えてしまうので、学校の児童として入学するのだから学校体制を整えてほしいと話している。一人の先生の負担にならないように、保護者ともよく話し合ってくれと伝えている。

TOKO 一人の先生の負担にならないようにということを、校長が先生たちに話していると思うか。私の娘は「とても大変だ」と担任に言われる。歩けないなら休み時間に歩く練習をさせろとか、知的水準が低いのなら勉強しなくていい、手でページをめくる練習をしていればいいとか、他の先生が担任に言ってくる。ストレスのたまった担任が、あげくに「まりなちゃんさえいなければやらなくてもいいことをやらされている」と、本人と他の生徒の前で発言したりした。

伊藤 細かい話まではこちらには伝わってこないが、そういうことなら現場に行くときに事情を聞いてみる。

TOKO 先生一人でやるのは難しい。私以外の第三者を入れるため、学生にボランティアをお願いしたりしたが、担任からはボランティアよりいつも同じ人に入ってもらったほうが現場はやり易いと言われた。補助員については知らなかった。

伊藤 それは現在は派遣されていない。緊急雇用対策の予算は平成16 年度から削られて、今小学校では0人、中学校で1人という状況。

TOKO 一番お金がかからなくてできることがやられていない。保護者の意見を尊重すると言うが、「本来は別の場で教育を受けるのが適切」といった判定を相変わらず行っているんじゃないのか。

伊藤 就学指導委員会という組織があるので、急にやめるわけにいかない。個別に来てもらった人には、何も答えないでは帰せないし。

TOKO 文科省の就学基準に基づいている?

伊藤 基づいている。勝手に出来ないので。

TOKO いや、できるはず。「こういう子はうちでめんどう見なきゃならない子ではないのに、保護者の意思で来ているのだ」という矛盾した位置づけをされていることが、人の心を縛ってしまう。

TOKO 先生の気持ちひとつで変わってくる。どういう人が就学指導の相談にのっているのか。私もそこにいてみたい。しなくていいはずの30 分だと思う。少子化で、今は幼稚園が障害児を受け入れている。つまり学校に上がる前に一緒にいる時間が増えているのに、学校へそのまま上がれないのだ。親がつかなくてもいい状況にならないと、職員全体で受け入れてくれないと、井上さんみたいな状況になってくる。今の担任は障害児と一緒に育っていない。

TOKO これまで分けてきた三障害、身体・知的・精神を対策を一緒にして考える方向に切り替えるが、その中で出来る人と出来ない人などに分けるというグランドデザインが10 月から施行されていく。いずれにしても分けていくことしか考えられていない。分けていくことは学校だけでは終わらない。

TOKO 下の子は未熟児で生まれたが、保育園に通った三年間ですごく成長した。言葉が通じなくても身振り手振りとかでどうにかなってきた。同年代の子供と遊ぶのは無理だが、友達との関わりはもっていたい。特殊クラスのある学校は家から遠く、上の子供を転校させたり、子どもたちを近所から引き離すのもいやなので、特殊学級はないがタテノ小に行くことにした。言葉の教室に通っていたので少しは情報が得られたし、地域の人たちがとてもよくしてくれる。

TOKO 「本人、保護者の意見を尊重するスタンスは変わっていない」とあるが、「一緒にいる」ことが基本で、「分ける」ことが例外ではないのか。確認したい。

TOKO 障害福祉課と教育委員会のつながりがない。

TOKO 分けることは差別を生む。ノーマライゼーションは本来アメリカでは施設解体を意味していた。ノーマライゼーションの推進とは、すなわち施設を壊すこと。分けられてきた教育を受けてきた先生だからこそ、井上さんに暴言を吐けるのではないか。そのこと自体は先生にとって正当なんじゃないか。教育委員会などが「差別をしちゃいけない」と言うのは正しいのかどうか。

伊藤 南小の件については、教員が発言すべきではないことだと思っている。

TOKO 教育委員会が行ったって何も出来ない。お母さんたちで直談判して学校へ行って、職員会議を開かせたら先生が変わったという例もある。親一人じゃだめ。

TOKO 既に校長にも話して、私の中ではおさまっている。

TOKO 教育委員会が学校や担任を追い詰めている責任はある。「本来そこにいるはずのない、適切な就学先がある」という幻想が進んで「社会的自立」となる。25 年間のデータの中で、これは間違いというのがはっきりしてきている。幻想を与えるのが今の判定である。

伊藤 判断の際「行くべきだ」とは話していない。

TOKO 学校教育法の中でも就学「すべき」となっているが。

伊藤 相談なので、そこで「すべき」とは言わない。就学指導委員会という組織で話し合われた中での判断を説明する。

TOKO 判断の根拠は?

伊藤 就学基準。

TOKO それはやはり就学「すべき」基準では?

伊藤 いろんな形の学校があることは紹介しなければならない。今の形だと普通学級では保護者にご負担があることも。

TOKO  養護学校へ行って歩けるようになってから来たらいいという、ふさわしい学校があるという判定がある限りは同じ。ふつう学 校の現状では井上さんのように大変なこともある、と。

伊藤 トイレとか介助がつけられない現状は話しておかないと。

TOKO それは判定が積み重なって常識になっている中での現状。この判定をまず変えない限り、いくらお金をかけても同じ。かけ るほど「あの子のために」かける余計なお金となってしまう。考え方として、そう思わないか。

TOKO 今小学2年生の息子は普通小に通っている。一年生の時の担任は理解がなかった。「石井君に対してどうしていいかわからない。動作がのろいのを他の子が助けるのは良くない」と言われた。先生には見放されていたが、子どもたちは息子を嫌っていなかったので、子供たちに育てられた。二年生の担任は、「助けて」と言えるのが本人の力だと言ってくれる人。周囲の子も助けることを覚える、と。「障害」はそういうことによって、ふつうのことになっていくのではないか。健常児だけの集まりでは、それもプラスにはならない。自分でなんでも自分のことができてしまえば、コミュニケーションがなくても生きていける。コミュニケーションをとれなくなっていく。体の不自由な子どもがいることによって、彼らにとってもプラスになっていくのではないか。子供たちのつながりがないのは、分けたからではないか。「ゆとりの教育」の失敗によって学習時間が再び増えるということになれば、ついていけなくなる子供が出る。だからできる子とできない子に分けることになるだろうと先生が言っていた。

TOKO 自分が子どもの頃は障害児がクラスにいたが、障害児とは思ってなかった。伊藤さんは現場に入ることはないのか。現場を見てほしい。

TOKO 自分はアスペルガー症候群。先生からの誤解もあって辛かったが、今では障害をもって生まれてきて良かったと思っている。

TOKO こういう場に来るのもいいだろうと言われて来た。

TOKO さっき言っていた先生の発言について。私も定時制高校一年生のとき、先生からひどいことを言われた。その先生は養護学校の先生もやった人だが「養護学校の生徒はバカだ」と皆の前で言った。そのときクラス全員でその先生の授業をボイコットしようと言ってくれたクラスメートがいて、一緒に授業に出なかった。

TOKO 自分の生まれたところで皆と一緒に学ぶということをモットーに・・・。