「車イス[空]&乞食と王子」
越谷市 樋上秀
廃校の爪跡が残る春日部市立谷中小学校出身の私です。
時々話すことですが、「共に」は大事。されど必然的にやむなく付き合わされる環境が基本。
小学校時代、私を一番イジメた奴が一番かばってくれた。かばってくれたというより自分以外の樋上を見下す奴には腹が立つ。矛盾はしているが理屈ではない行為、それは仲間意識ではなく決して安っぽい道徳的なものでもない。そこに樋上と居るという環境的な行為だ。よく選択権、自立、自己決定と言われる。それは尊いが、そこに行くプロセスがなければ自己決定もくそも無い。あくまで良いも悪いもひっくるめた無作為な環境。
社会に出ると甘くないともよく言うが、そんな事もどうだっていい。お坊ちゃまがお坊ちゃまでいられるのも乞食が乞食としていられるのもプロセスだと思うのです。 「乞食と王子」という物語があるが、あくまで体験を通して自己決定できる要素が出てくるんだと思うのです。
それでも良い意味でも悪い意味でも環境や風潮に流されるのが人間。自然界の動物とは異なる宿命です。
育ちあう環境は日頃のドタバタしたプロセスが大事。親や先生は大変なのかも知れない。いつの世も親は子供の幸せを願う。それがエゴだとしても、今にして思えば有りがたいと思う。しかし少子化の昨今、そんな体験をしてきた先輩として毒づいてみたい。乞食VS 王子がどっちが幸福なのか、そんな事は誰も認定できない。中学校の修学旅行は、車イスを業者から借りて行った。
その車イスの名前が[空]でした。車イスを押す腕っぷしの強い担当の教員が付いたが、わりとアバウトな先生で、日頃は影を潜めているワルと称号をいただく友たちが、ここぞとばかり車イスを大半は押しまくった。そして多くの友の足を轢いた。轢かれた友は、薬師寺(今では少しは良さがわかるよ)なんかより、痛い思いが残っているはずだ。
3日間で車イスはボロボロ。担当の先生とワルどもの日頃の関係もある。また当時の校長は責任は俺がと、おとこ気(死語?)ある先光(本当に頭が光っていた)だった。
その後車イス[空]との3日間を詩に書きサトウハチロ−らが作った童謡誌に投稿。初記載される。まだ純情だった頃のほろ苦い思い出でした。