報告

どの子も地域の公立高校へ! 高校入学相談会

7月26日(土)於・坂戸市ワークプラザ



この写真は、坂戸市の中学校普通学級で学ぶ吉井英樹君(中央・車椅子使用)が関西に修学旅行に出かけたときのもの。親は付き添わず、介助員、教員、クラスメートの介助で充実した日々を過ごした。英樹君は来春、地域の公立高校の門を叩く。どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会は、このほど、この英樹くんの地元で、「高校入学相談会」を開催した。

 はじめに、地元の吉井さんから「何故高校を目指しているのか?」と前置きして、以下の話がありました。「いまの教育のあり方・・弱いものが排除されて、一定の能力のあるものだけを掬い上げて教育するという発想が、戦後一貫している。おかしい。一緒にいてもいいんじゃないか。小さいころからいろんなことに出あっていないと。いままで一緒にやってきているのに、受験という学力だけで排除されてしまうのは許せない。小学校のときは義務教育だけ行ければと思っていたが。皆あたりまえに行っているのに、なんで障害児だけ先を決められてしまうのか。受験というのがあるのなら、それに対して必要な配慮をしてくれなければ平等ではない。県の担当者から、「必要な配慮をしてもらってください」と言われたのに、現実には中学校ではできないと言われる。学力重視という問題をどうクリアーすべきか。皆さんの考えを聞きたい。」」

先輩の立場から、狭山市の門坂さんが、これまでの経過も含めて話してくれました。「息子が中学3年から高校卒業するまで『どの子も』の代表をしていた。『事前協議』(配慮)のための書類―別室受験、文字拡大、点字受験など。都ではすべて選択式にする配慮もやっている。代読、代筆は埼玉でもあった。どこまでの配慮ができるのかという相談はできる。それを逆に中学校にもっていったらどうか。交渉の場でなく個別でも。普通高校に息子を受験させたのは、周りの子どもが受験だと騒いでいるから当然息子もという感じで。学校の中での情報で養護学校へというのはない。当たり前に高校。中学に入った年の家庭訪問のとき、「うちの子も多分高校に行くから準備しておいてください」と言っておいた。担任は驚いていたが、きちんと学校側に言っておくことは大切で、言っておいて良かったと思った。高校の教員が「入ったからには責任とらなければいけないから」と言うが、どこで責任の線を引くのか。退学者が多いという問題と、行きたいから行くという問題を混同すべきでない。たしかに普通高校に行ったら進路指導はない。知的の養護学校へ行ったら就職の可能性のある子とない子をはっきり品定めし、ない子には就職の指導はないと聞く。就職は難しいが、いろんな就職の形を考える形で視野を広く持つという意味では、養護学校に行くと視野が狭くなる。」

 そして、地元鶴ヶ島高校在学中の山下くんのお父さんから、受験にいたる経過が次のようにが語られました。「特学から高校へ行った。私の場合、普通学級がいいか、特殊学級かということは、あまり分けて考えてなかった。どこへ行ってもいい先生、悪い先生、いろいろいるから。ただ本人が希望したから川越市立養護学校と鶴ヶ島と両方受けて、川越養護は落ちて、鶴ヶ島は受かった。みなさんのようにしっかり勉強してなかった。子どもの好きなようにやるタイプなのであまり考えなかった。」そして、お母さんは入学後のことを語ってくれました。「入学した当時は多少イジメがあったが、教員がすばやく対応してくれた。一年の二学期くらいからは皆がわかってくれたようで、落ち着いてきた。二年でクラス替えがあったあとも落ち着いてきている。テストの前にほとんど同じような内容の補習をやってくれている。先日数学のテストで二位に。40人で4クラスのところ、30人で5クラスになっている。」

 意見交換の中で、吉井くんの中学校で、それまで試験を選択式でやってくれたりしていたのに、高校を受験すると宣言したとたん、「自分で名前が書けなければだめだから」と言って、試験場での介助をしてくれなくなったという報告がありました。これについては、前述の門坂さんの報告どおり、埼玉では代筆受験等も認められてきたのです。また、連絡会事務局の竹迫さんからは、県は通知で「介助員を県はつけられない」としているのですがが、今年入った人の例でも週三日くらい介助員がついているという報告がなされました。

 また、7浪してやっと朝霞高校に入った佐久間さんのお母さんからは、「入ったら漢字も読めない子もいるので、うちの子と同じだと思った。授業はABC の歌から始まった。受験のときより簡単な授業から始まる。それでもついていけない子もいるが、それなりに先生は教えているようだ。うちの子は学校は厳しいところと思っていて、その厳しい場所としてのに行きたかったようだ。それで7年間受け続けた。普通ってそういうもの。やさしくしてもらうことではなく。」という高校生活の報告がありました。

 さらに、同じ坂戸から15年前小川高校定時制に入学しながら、卒業はできなかった林ひろみさんのお母さんからの話もありました。「いま娘は31歳。小学校は特学で、中学は普通学級。私もみんなと一緒に高校に行きたいということになり、小川高校定時制受験。クラスの子どもたちも受験の仕方を応援してくれた。高校に入り進級できず、留年7回。初めの一年は泣いたが、二年目からは誰が来るだろうと楽しみに。最後は校長室で自主卒業式をした。若者の文化を感じられた。友だちを求めいろんな人に声をかけた。高校の先生はほんとに冷たかったが・・・。」