秋のTOKO野外おしゃべり会をやりました

10月9日(日)遊んだり 情報交換したり たくさんの顔

ときどき小雨もちらつく肌寒い天気でした。「鍋っこ遠足」と銘打ったおしゃべり会でしたが、「野外」は鷺山見学や生活ホーム訪問、ザリガニ取りなどのコースにとどめ、食事とおしゃべりのメイン会場はくらしセンター・べしみの室内にビニールシートを敷いて行いました。今回も大人も子どもも、障害のある人もない人も、初参加もかなりまじった多数の参加が得られました。全体会のようすを以下でご紹介します。

主な自己紹介・近況報告です

・いま就学相談のシーズンで、悩んでいる人も多いと思う。今日はお互いに情報交換や話し合いを十分やって下さい。

・中学3年、特殊学級。来年高校はどうしようかと考え中。

・53歳まで仕事してきたが、周りに障害のある人はいなかった。福祉を意識する環境はなかった。

・八丈島のちょんこめ作業所から来ました。お土産を電車内に忘れてきてしまった。


・ここにけっこううちのお客さんがいる。障害児者のことが好きなのかと間違われるが、そうではなく固有名詞でつきあっている相手が多いだけ。

・来年普通学級に行かせるかどうか、迷っている。みなさんの話を聞きたい。

・4人家族で下の子が障害がある。昨年就学で悩んでいたとき、わらじの会を知り、今年普通学級に入れた。

・幼稚園の年長。今度就学。自閉症。就学相談が始まり、悩んでいるところ。皆さんと情報交換できたら。

・子どもは全寮制の高校を出て、いま所沢のリハビリテーションセンターに。親子3人で参加。


・娘は養護学校高等部3年。近所の普通学級に6年間行った。娘が小学校に入った年、2、3人、同じ学校に障害のある子が入ったが、みな高等部に来た。養護学校の体制について、いつも先生に疑問をぶつけているが、変わらない。

・保育園年長。来年就学。

・息子が下手なんだけど野球をやっているので、いつも来れない。今日は雨なので来れてラッキー。

・大分県でボランティアしています。

・大阪で育ち、いつも障害のある子が周りにいた。けっこういじめていたほう。

・越谷市、中学3年です。よろしくお願いします。

・この近所で幼稚園、小・中学校に行った。やはり障害のある子をいじめていた。その自分が、いま障害のある人達の介助者として働いてい る。

・うりうりがうりうりにきてうりのこりうりうりかえるうりうりのこえ。


・県立大学看護学科3年生。春からわらじの会に参加している。来るたびに新しい発見が。

・自分が勤めている養護学校高等部の生徒が、近くの高校と交流した。小学校のとき普通学級だったので、その頃の知り合いに会ったら不安だと言っていた。実際行ってみたら小学校で一緒だった子に声をかけられたと喜んで帰ってきた。

・前はかがし座スタッフとして働いていた、いまはべしみやぶあくで働いている。

・大学の教育学部を休学し、わらじの会に一年間ボランティアとして来ています。

・昨年県立大学を卒業し、日本女子大学の大学院にいる。川崎にいるが、わらじの会の人達に会いたくて、月に1回くらいは帰ってくる。いま福祉は生活モデルになったが、教育はいまだに医療モデルで、「障害」を治すべきものとして扱っている。教育も生活モデルに変わってゆくべきだが、学校はなかなか変わりにくい。学校と当事者の親子との間を調整するケースワーカーのような存在があれば変わってゆく契機となるのではと考えている。

・久喜市、中学2年生です。よろしくお願いします。

・みんな一緒に普通学級へ埼玉連絡会の世話人をやっています。


・今日は子ども二人と来ました。わらじの会のバザーのビラを、先日子供たちと近所にまきました。子供たちの友達も呼んで来て4、5 人でまきました。子供たちはゲームをしているみたいな感じで、ビラまきを楽しんでいました。

・元祖登校拒否児です。いま41 歳。幼稚園を35 年前卒業し、小・中普通学級、高校は通信制に行きました。小学校ではさんざんいじめられたけど、いま付き合っている連中は、先生に言われて俺の世話をしてくれたいい子たちではなく、俺をさんざんいじめた奴ら。でも当時のことは覚えていないという。

・中学3 年生。先生が養護学校高等部へ行けと言うが、高校に行きたい。

・子どもは小学校1 年生。普通学級でがんばっている。