わけへだてられることなく 共に育ち学ぶために

第2回 鴻 巣 集 会 記 録 2005.10.23

「みんな一緒に普通学級へ・埼玉連絡会」と「どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会」の主催による標記の集会が、10月23日(日)、鴻巣市総合福祉センターで行われました。現地でこの集会を準備してくださった矢島さんから、翌日、ここに掲載する会場発言の記録とともに、次のようなお便りをいただきましたので、ご紹介させていただきます。ありがとうございました。

「昨日はお疲れさまでした。参加人数が前回に比べて少なく、どうなることかと思いましたが、勉強になるお話が たくさん聞けて、私としては大満足の集会でした。本当にありがとうございました。車椅子で一人旅が大好きな方の話は、私としては衝撃的でした。人間の可能性や生き ることの楽しさを、改めて思い出させてくれるお話でした。また、山下さんの紹介してくださった様々なケースは、自分の子どもや、勤務先の学 校の子どもの顔を思い浮かべながら聞きました。普通学級で勉強ができずいじめられていた子が、特学に移ってリーダー的存在になったけれど、就職先で適応できなかったケース。特殊な環境で育ってしまうことの怖さを感じました。普通学級で自信をなくしている子どもに、どうやったら自信をもたせられるか・・・。そして普通の社会の中で生きる力をつけていってやらなくては、と強く思いました。集会のアンケートと参加者をまとめましたので、添付します。」

A(鴻巣) ダウン症、普通小の二年生の娘。送迎はするが、授業中は補助の先生にまかせている。厳しい環境だが、周りの手助けを借りてということは良いことだと思う。が、学年が上がって親が出なければならないことになるかもしれないと思うと、考える。

B(鴻巣) 上の子が小学二年で、下の子は4歳。次女は首の座りもおそくて、2歳から一年間通所施設で療育を学んだ。今は普通の幼稚園に通っているが、言葉の発達が遅かったのでコミュニケーションがうまくいかず。砂場で砂をかけたり、いろいろやってくれちゃっている。

C(鷲宮) ダウン症の娘。来年小学校に上がるが、普通学級をと思っている。今年は就学猶予をしようと思う。養護学校が本人にとってもいいと思うが、親の会の人たちが普通校へとがんばっているのを見て、親もしっかり気持ちをもたないと入れないと思うので、悩んでいる。

D(三郷) 子どもは19 歳。小学校に入った時は多動でしゃべれなかったが、普通学級へ。6年間ですごく成長した。いろんなことができるようになったと同級生の親たちに言われた。他の子どもたち自身が「面倒見なきゃ」と言ってくれていた。大人が教えるより、子どもたちから言葉や勉強を教わった。私の子どもの経験から言うと、普通学級に入れたほうがいい。

E(秩父) 6年生の息子と4年生の娘。養護学校。今日は「共に」「地域」という言葉にひかれて来た。今さら地域に入りづらいので、きっかけを教えてもらえたらと思って来た。

F(新座) 普通学級に通った。学校では、一年生の時は親から離れるのが怖くて、いなくなると泣いていた。2年生のとき担任が親から離したほうがいいと言って、送迎だけ親ということになった。3年で担任が変わり、学校に行くのがいやになった。勉強できず、ほとんど1とか2しかとれなかった。足の手術を受けるため、療護園に入った。近所の友だちが見送ってくれた。病室で出すあてのない夏休みの宿題をやった。三年生の時熊谷養護をすすめられて寮に入った。その後地域の友だちがいなくなった。養護学校行って良かったかどうか。懐かしさはあるし、今も訪ねていけば寮母さんと会って話ができるが。

G(新座) 小さいころ、隣の家に知的障害者が住んでいて、その人がどっか行っちゃったなんてとき、おもしろがって一緒に捜しに行ったりした。小学校のときも中学のときもクラスに障害者がいた。小さい時にどんな経験をしたかが大事だと思う。大人になってから一緒にやっていこうというのは難しい。

H(越谷) 今日は電車に乗って旅に出たくなったが、ここに着いてしまった。小・中学校と普通校に。親ががんばった。卒業できない自分がいる。養護学校については、熊谷養護に見学に行ったとき初めて高崎線に乗った。養護がいいか、普通がいいかはわからない。地域の中で暮らしてて、東武の売店でたばこを買うと声をかけられる。そういう関係も・・・・・・。きっぷを買う窓口で「稚内まで」と言ったとき、駅員が「え?」という顔をするのを見るのが楽しい。そこから旅が始まる。冬の北海道で、駅のスロープが凍っていたのにクレームを言ったら「夏に来てくれと言ってるんですけどね」と言われた。親切に言ってはくれたんだが。

I(熊谷) 小学3年生で車椅子。入学のときは3月ぎりぎりに普通校に決まった。普通学級か特殊学級かもめたが、少人数ということで特殊学級に入っている。体重が増えて、階段の上り下りが大変になってきた。障害者運動をしているJさんにあいだに入って話してもらった。体が動かないので、大きくなるにつれて自分でも子どもへの接し方がわからなくなるときもある。

K(川越) 初参加。小学3年の息子。自閉の傾向があり知的に遅れているが、普通学級。就学児健診で特学の判定が出たが、親の意見を尊重してもらった。一日親が付添って、給食も一緒に食べている。校長、教頭との話し合いで、親の付添いを条件と言われた。自立支援サポーターという介助の先生が週2回、給食の時間までついてくれている。それ以外は子どもに付添っている。最初は教室の向かいの図書室にいたが、やはりついていて欲しいと言われ、一ヶ月もたたないうちに子どもの隣に座ることになった。川越市からも毎年、教育委員会で相談を受けてくれと言われる。判定教員に見てもらって、親が教育委員会に呼ばれ、特学をすすめられる。昨年はかなり迷ったが、特学を見学し、今のままと決めた。教育相談を受けてくれと言われる時期になると、頭が痛くなる。このままできれば6年まで通学したい。地元の中学へ進学できたらいい。

L(千葉・成田) 千葉「障害」児の高校進学を実現させる会の事務局をやっている。娘は今県立高校3年。今いろんな地域の若いお父さん、お母さんが苦労しているのは、彼ら自身の価値観が「できる」「できない」にとらわれているからだと思う。娘が2歳半のとき、地域で生きる会と出会った。情報があったので「義務教育のあいだは普通でいきます!」と初めから宣言できた。せまい地域の話で終わらせず、外へ出て行くことが大事。自分で拾ってきた情報が強い。自分の子どもは自分で守るしかない。小学3年生で不登校になったのは、運動会の練習で友だちにいちいちこうするんだって言われたから。またテストの時に、先生が彼女より少しできた子に説教をし、彼女がそれを見て落ち込んだということもあった。私は三学期はもう行かないかなと腹をくくったが、結局行った。千葉の差別禁止条例の委員に我々の代表も入っているので、「ともに」「統合教育」を入れるようにがんばっていきたい。若い母親たちに「普通学級でいいんだよ」という情報がいっていないのが現状。

M(毛呂山) 小学校一年の子どもで、普通学級に行っている。が、何気なく先生に言われたことで「なぜ私だけが言われるのか」と思うことがある。体調をくずしたとき、「26人のなかの一人として見ていたら気付かなかったかもしれない」と先生に言われた。そのあと校長先生に、遠足のときに「お母さん一日ご在宅ですか」と言われた。家に縛られる感じがした。周りに相談できる人がいないので、ここに参加した。

N(鴻巣) 子どもが6歳のとき、てんかんとわかった。今7歳。少し明るくなってきた。いろんなお母さんと話すことで元気をもらった。今は特学。松山に住んでいたとき、2歳からは普通保育園。介助の先生は3歳からついてくれたり、松山クリニックの先生が来てくれたり、ありがたかった。今鴻巣に引っ越してきたが、小さいころの経験がとても大切と思っている。市の予算がつかなかったり、行政のさじ加減で子どもの人生に大きく影響するということを今日は思った。

J(熊谷) 養護学校のない時代だったので、親が苦労して学校に入れた。が、親が熊谷へ養護学校を誘致した団体に入っていた。今は地域で当たり前に暮らすということを僕自身がやっていて、親がつくった学校に対して批判しなきゃならない立場。そして今、自分の子どもが中学から不登校。3年遅れで高校一年生になっている。親だから成績のことが気になる。矛盾だらけだということを思っている。

よろしくお願いします。

大学を休学して一年間ボランティア。こういう集会に来ると小・中学校のことを思い出す。同じ学年の「さっちゃん」という女の子のおかげで、私はマラソン大会でビリにならずにすんでいた。大学に入って障害児教育を勉強することになり、さっちゃんは障害を持っていたのかなと思うが、私にとってさっちゃんはさっちゃん。皆で一緒に普通学級にいるというのはこういうことなんだろうなと思い返していた。

養護学校の中等部一年。養護学校に行ったからこそわかることもあり、お母さんたちとのつながりからこの会に入った。障害だからでなく、どの子も特別と最近思っている。「共に地域で」が実現されていない育成会もある。NPOの子育て関係もやっているので、障害児は特別じゃないと伝えていきたい。

重度の知的障害を持つ娘が来春小学校入学。できれば普通学級に入れてあげたい。保育園に入っているが、たのしく見える。そういう環境が長く続けられるようなサポートをしたい。

S(吹上・・・合併して鴻巣) ダウン症の4歳の息子。保育園に入るまでにいろんなことが。幼稚園はすべて断られた。歩行困難という理由で。今のところも無理矢理入れてもらった。保育園に入ってから、上の子の友だちとも交わるように。今まで一緒に遊んでいた女の子に「○○君てダウン症なの?」って聞かれた。「へんな顔してるからわかるよ」って。本人は傷ついて何日も外に出られなかったが、わかった上で遊んでくれている気持ちが嬉しいと思った。学校もお兄ちゃんと一緒を願っている。

T(吹上) 小学校4年生の息子。普通学級。先生や教育委員会ともいろいろある。「危ないからさせない」ではなくて、とりあえずやらせてみて欲しい。息子とすんなり関われた親御さんに、どうしてかと聞いたら、小さいころ自分も車椅子の友だちがいたからと。「教育は大人になったときに答えが出る」という言葉を言った人がいるが、障害児と関わってきた人は大人になってもすんなり関われる。

U(吹上) 普通学級二年の息子。手帳では重度Aになっているが、元気。子どもがにこにこ笑っているあいだは、学校から何を言われてもがんばろうと思う。

V(鴻巣) 息子は26 歳。この会との出会いは11 年前。朝日新聞の就学ホットラインがきっかけだった。そこで相談にのってもらい、励まされた。桶川にも連絡会があり、参加してきた。ホットラインは息子が中学3年のときに進路のことで相談した。「高校に行きたい」と息子が言うので。良い形で高校に入れて、卒業できた。就学もして、今なんとかやっている。