国際交流報告

社会で分け隔てられた傷は社会の中で癒すしかない


地域移行の世界最前線で

孤独をこえて闘う人々と出会った

スウェーデン、オランダ、オーストラリアの障害者・支援者とわらじの会が交流

 11月2日、三つの国の、主として知的な障害を持つ人々と支援者、計9 人が通訳の人達と共にわらじの会を訪れたのは、翌日行われる「地域移行・本人支援・地域生活支援東京国際フォーラム」のいわばプレイベントでした。翌日のフォーラムの午後の4つの分科会のうち、第2 分科会「地域で自立して生きていくために」は、わらじの会が企画して行うのです。ここにはスウェーデン、オランダの本人と支援者が日本の本人とともに、講師・助言者になることになっていました。そのための事前知識を得るという意味でも、この日の見学交流は重要でした。
 午前11 時にご一行が到着。さっそく次の3 コースに分かれて見学・交流を行いました。 @巽優子さん職場実習コース(巽さんはダウン症の本人で、わらじの会が作った障害者雇用事業所のリサイクルショップ「ぶあく」で働くかたわら、身体障害者通所授産施設くらしセンター・べしみの通所者・職員と組んで地域のあちこちに出かけて行き地域のつながりを掘り起こしてゆく活動にも参加しています。今日は巽さんがぶあくの支援者のサポートを受けて取り組んでいる越谷市公園緑地課の職場実習(公園清掃)を見学し、ぶあくの仕事の一環として行っている「巽宅ガレージセール」の様子の紹介も受けました。 A武里団地で他人の介助を受けながら独り暮らししている重度障害者・藤崎稔さん宅と野島さ久美子さん宅の訪問コース。野島さんの手料理もふるまわれました。 B市営住宅でやはり他人の介助を受けながら暮らしている重度障害者・荒井義明さん宅訪問と荒井さんが会計を担うケアシステムわら細工事務所訪問コース。荒井さんの介助に入っている知的障害の菅野秀吉さんの生活の話も聞きました。

 午後1 時45 分から3 時までは、くらしセンター・べしみに全員が集合し、感想を話してもらいました。「オーストラリアの私たちの活動とわらじの会の活動は一緒」とか「家庭訪問をしてすごくよかった。私も障害を持っているが、他の国で障害者がどういうふうに障害と闘っているかがわかってよかった。」などの感想が出されました。また、「わらじの会のような組織は日本に沢山あるのか?それとも少ないのか?」とか、「なぜ街から離れたところにセンターを作ったのか?」といった質問が出されました。前の質問に対しては「障害者自立生活センターは全国に100ケ所以上ある。ただわらじの会はその中で非常に泥臭いほうだ。」という答えが、後の質問に対しては「このセンターのある土地で生まれ育った障害者が、施設に入らずにここで暮らし続けるために自分の家の土地を提供して社会福祉法人を作った。」という答えが示されました。
 聾唖・車イス・弱視で、19歳で初めて家から外に出た橋本克己さん(47歳)から「克己絵日記」T、Uが外国からの参加者10人にプレゼントされ、みな大変喜ぶとともに、橋本さんのことについてもっと聞きたいという声も出て、山下から少し話しました。「スウェーデン語で翻訳していいか」などとも言われました。橋本さんも、女性二人からキスをされ、大喜びでした。

11 月3日 地域移行・本人支援・地域生活支援東京国際フォーラム

 2 日に春日部、越谷に来てくれたスウェーデン、オランダ、オーストラリアの知的な障害を持つ人々と支援者の講演や日本の本人・支援者をまじえての分科会などが開かれました。会場は池袋の立教大学でした。同大学の卒業生の傳田さん(ばり研・さいたま市議)も会場に来ていて、懐かしそうにしていました。埼玉からは、わらじの会から20数名、ふくしネットから10数名、ぺんぎん村(猪瀬さん母子)、狭山のペンギン村(門坂さん)、朝霞育成会(田中さん母娘)、ばり研(内堀さん)などの顔が見えました。

 9 時半から全体会があり、スウェーデンのイェテボリ・グルンデン協会という当事者団体の理事であるマーリン・アシュトレイさんと同じく理事のジェーン・ハルビさんが「スウェーデンにおける本人活動と地域生活支援」のテーマで記念講演を行いました。二人とも知的な障害をもつ当事者です。グルンデン協会の理事はみな障害者です。同協会は新聞や雑誌を発行し、ラジオ番組をもち、映画を製作しています。世界中に知られた組織で、国際会議に何度も出席しているそうです。

 10 時10 分から分科会があり、わらじの会が第2 分科会「地域で自立して生きていくために」と題する、本人達を中心にした分科会を企画し、運営しました。講師・助言者としてジェーンさんとオランダの当事者団体・オンダリングシュタルク連盟の所長であるウィリアム・ヴェステヴェルさん(やはり本人)さんが参加し、支援者としてグルンデン協会からアン・クリスティンハルトさんが加わりました。司会は知的な障害と脳性マヒとを併せ持つ会沢完さん(わらじの会)と支援者の立場で吉田弘一さん(同)が担当しました。


 ジェーンさんとウィリアムさんは、それぞれの生い立ちから現在までの生活を語りました。二人とも現在結婚しており、それぞれお子さんもいます。ウィリアムさんは、家族との生活から独立の一歩としてグループホームに入居しましたが、そこでは金の使い方から部屋の掃除の仕方、食事に至るまで、いちいち職員に管理され、地獄のような生活だったそうです。ほんとうの独立を求めてアパート生活に移行したのですが、そこでもサポートをしてくれる人に管理される暮らしでした。幼馴染と結婚し、家庭をもってからが、ほんとうに生きていると感じる暮らしになったといえます。失敗をしながら体験を重ね、人生を自ら切り拓いていくことの大事さを実感しているそうです。日本に来ている今も、家族のことを思うと懐かしさですぐにも帰りたくなると話していました。

 日本の参加者の中には行政や施設や親の会などが主導で作ったグループホームで暮らしている人もおり、かってのウィリアムさんと同様に部屋に鍵も付けてくれず、「あなたたちは訓練中だから」とすべてにわたって指導される日々を送っている人もいて、ジェーンさんやウィリアムさんの「まず声を上げることから」というメッセージに熱心に耳を傾けていました。

 スウェーデンやオランダなどの「福祉先進国」として名高い社会の影の部分として、生活の隅々までの管理が存在し、やっとここ数年でこうした当事者の声が社会を動かすようになってきたことがわかりました。それだけに、日本の、特に埼玉のような福祉後進社会の暮らしについては、ウィリアムさんたちはイメージしにくいようでした。わらじの会でも当事者が生活の中で活発に地域をきりひらいてきた実態を知り、「私たちと一緒」と共感していましたが、一方で「地域社会の中でいろいろな人がゴチャゴチャと」というスタイルについては「障害当事者自らの意志が最優先されることが大事ではないか」と疑問を投げかけていました。

 スウェーデンやオランダのように福祉国家の影の部分で人と人が限りなく分け隔てられてきた現実は、規模こそちがえこの日本でも再現されようとしており、それとどう向き合ってゆくかは大きな課題です。しかし、もう一つの面として、いまの日本はまだまだ福祉が遅れているからこそ、スウェーデンやオランダのような回り道をなるべくせずに、学校・職場・地域の中で「分け隔てられることなく共に生きる」地域社会を作ってゆく独自の道も残されていることを確信しました。ちなみに20数年前、私たちがスウェーデンから障害者たちを招き県内のあちこちを案内しながら交流したとき、彼らからもらった言葉が、「みなさんは私たちのような回り道をしないでほしい」だったのです。私たちは今回そのことを伝えたかったのですが、この点では最後まで平行線で終わりました。ただ、スウェーデンやオランダなどの国々の体験を知れば知るほど、いったん分け隔ててしまってから次の段階で「地域移行」というコースには大変な困難ともちろん大変なお金がかかるものだということが証明されることだけはたしかです。

 分科会終了後、合同分科会「話し合おうー私たちの夢と希望」があり、本人達が壇上に上がり、一人一人の夢を述べました。わらじの会の石井由佳さんは「虎になりたい」と語り、「なぜですか」と訊かれ、「キリンとケンカしたい」と答えて、会場を沸かせていました。