「障害を【どこかに異常があって何かができないこと】と固定的にとらえない。」……みなさんはこの文言を読んで、どう思われますか?何ができないかを基準として適切な就学先を指定する「学校教育法施行令」や要介護度をベースとした障害程度区分をモノサシとする「障害者自立支援法」への痛烈な批判がこめられていると思った方もおられるかもしれません。では、この文言はどこに書かれていたものでしょうか?なんと県教委のホームページです。以下に、その前後も含めて紹介します。「真の自立とは他者の力を借りること」という言葉は、障害のある子ども個人に力をつけることにより社会で自立できるようにするのだという特殊教育(そして特別支援教育)のまちがいを鋭くついています。またそのことは障害のある子どもだけの課題ではなく、障害のない子どもも含むすべての人の課題なのだと…。
県教委は、中学校の「心のバリアフリー」の授業の教材として人権啓発ビデオ「風の旅人」(30分 原作・監修:牧口一二)を用いることをすすめており、そのポイントとして以下のような文章を載せているのです。その県教委は、「障害のない児童生徒の『心のバリアフリー』と、障害のある児童生徒の『社会で自立できる自信と力』を育成すること」、この二つをプラスしたものがイコール「ノーマライゼーションの理念に基づく教育」であると、まとめています。しかし、後者の「社会で自立できる自信と力」とは、「障害のある児童生徒が、障害のない児童生徒と一緒に学べるという自信や、生活や学習上のつまずきを改善または克服できる力のこと」と述べており、旧来の特殊教育(そして特別支援教育)の発想に立っています。「心のバリアフリー」を説明している「『知り合う・ふれあう・学び合う』ことを通して、共感的に理解する」という言葉は、障害のない子どもたちだけでなく障害のある子どもたちにも等しく適用すべきなのです。
(1) 障害を「どこかに異常があって何かができないこと」と固定的にとらえない。 |
【県教委ホームページでのビデオ「風の旅人」の内容の紹介】
最重度の肢体障害で全身の動く部分は片手の一部だけの青年、宇都宮辰範さんの実話にもとづいた作品です。彼は屋外でベッド式車椅子に横たわり、道行く人に「僕を駅まで連れて行ってくれませんか」などと声をかけます。そして例えば駅に着いたら、また別に人に切符を買ってもらい、その次は電車に乗せてもらうなど、次々と違う人々に声をかけることによって、目的の場所に到達し目的の行動を成し遂げます。これを彼は「キャッチボール式歩行法」と名付けました。彼はこの歩行法で出身地の愛媛を旅立ち、大阪を経て東京に至り、ここで「他者の力を借りながらの自立生活」をはじめます。 東京で彼は、障害がなくても社会的に「孤立」し精神的に「自立」していない青年たちに、彼の日常生活介助を通じて「自立」させる「重度健全者リハビリテーションセンター」を開設、運営し生活します。 そんな彼でも、見ず知らずの人に声をかけられるようになるまでの葛藤があったことが描かれています。また「ほんとうの自立とは、他者の力をどれだけ借りられるか、にかかっている」というのが、彼の口癖です。障害とは何か、また障害の有無にかかわらず、「真の自立」とは何かを深く問いかける作品です。(詳細は http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BN00/hp/kyouhon/contents/11_3ty01.html を参照して下さい。)