三上優佳さんの挨拶: うちの娘が11年前に小学校に入ったときは、今より気楽に普通学級でやっていた気がします。うちの娘がいま通っている越谷西養護ではこれから居住地校交流をやりますと言っているんですが、越谷市内の学校では1校も受けようという所がないそうです。地域の学校の状況がずいぶん厳しくなっているような気がします。今日はざっくばらんにいろいろお話しあえるといいなと思って企画しました。
自己紹介と近況報告(約40 人のうち初参加の方だけ抜粋しました)
●初めまして。子供は中三。小学校五年生くらいから、担任が子供を見ると「授業についていけないから、他の子供に迷惑がかかるから転校しなさいよ」と言うようになった。六年生のとき、職員室に引きずり込まれ、ずっと職員室で勉強させられた。中学は特殊学級。いまは毎日通っている。三年生になり、担任からは「卒業後は養護学校しかないですよ」と言われたが、高校という選択肢もあるんだと聞き、今日来てみた。●初めまして。子供が自閉症。通園施設から今年保育所に移った。来年以後の進路を妻と話し合っている。情報は通園施設時代の親たちかインターネットしかないので、生の声を聞きたいと思って参加した。
●身体障害者通所授産施設の職員。ふだん大人の障害者と付き合っているが、その人達が学校でどうしていたのかを知りたいと思って参加した。
●日本青年奉仕協会からわらじの会に一年間派遣されたボランティア。いま休学中。
●教員。いま、小学校六年生を担当している。障害のある子も基本的にはその地域の学校で受けとめていくのがいいと思っている。私も受けもったが、周りの子供たちが助けてくれた。ご家族の話も聞いて勉強できたらと思って今日参加した。
付き添い、支援員、バリアフリーをめぐって語り合いました |
◆なぜ付き添いがこんなに増えているの?「うちの息子は通常学級の四年生。いま『学習支援員』という補助の先生が週三日、残り二日は大学生が付いている。毎年、校長から進級にあたって渋られている。今年も四年生もこのままでやらせてくださいと言ったら、しぶしぶ認められた。本人は自我が出てきて、担当も変わったので、四年生のスタートは休みがちになったり、騒いだりもあった。五月に入り、今週やっとどうにか落ち着いてきた。」
「娘は、小学校二年生。車いす使用で普通学級。一日、三〜四回トイレ介助のみ私が行く。教科はすべて一人で受けている。私も楽になり、彼女も楽になった。一年生のときは時々介助に呼び出された。二年で担当も変わり、子供たちも手伝うようになった。」
「小学校二年生になった娘。普通学級に通っている。一年のときから、特別大きな問題もなくやって来ている。ただ、けっこう校外学習が多く、学区内の公園に行くのにいちいち予行演習があり、月に四回散歩するのに全部ついて行くので、先日は学校休んじゃった。毎日給食と昼休みには行っている。私自身が周りの友達と話し、この子の説明もできるので、スムーズに受け入れてくれたかなと思う。何の問題もなく二年生になった。」
「今年小学校に上がった。校長に話しに行ったら、「○君には、補助員を週三日付けることになりました」とのこと。かえって心配になったが、入学してみたら、まるっきりベッタリではなく、○が一人で行動しているときに「○君もおいで」という橋渡し役。それはいいのだが、○がずっと席についているのが難しく、補助員がいなくて担任一人のとき、外に出てしまうので、「今日は教頭先生が付いていました」などと報告がある。いまは、週三日登校から下校まで、私がずっとついている。私がいると廊下に出ることもないし、授業もできない内容ではないので一緒にやれるが、期限がないのでいったいいつまで続くのかという不安がある。校長も教委に週三日の補助員を週五日にしてくれと泣きついたみたいだ。教委が視察に来ている。補助員が「お母さんが来ている時は出ないから、慣れれば大丈夫でしょう」と言ったら、「じゃ、お母さんに毎日来てもらいましょうか」とすれ違いのやりとり。私が少し疲れてしまったので、今日は元気をもらいに来た。」
「子供は車いすで、普通小学校の五年生。入学した当時は初めてのことであり、大変だったし悩んでいた。五年生ともなると、ひととおりのことを経験していて、本人が楽しく通ってくれるのがいちばんという気持ちにやっとなった。ついていけない面は沢山あるが、本人が周りと関わりあいながらいろんなことを吸収していけばいいと思う。今年は林間学校がある。林間学校行きますかという話があったので、「はい」と答えた。行くにあたって親の介助が必要と言われて、親が行けないとなるとボランティアをこちらでみつけてほしいと言われた。
これまで遠足のときは私がついて行ったが、子供とのかかわりがもてなくて、親子だけになるのが不満で。付き添いがなければ連れて行くことは難しいので、結局はついていくことになると思う。」
「私は小学校三年生です。よろしくお願いします。」
「この子(車いす)に補助の先生が昨年後半から付くようになった。今年は昨日初めて会って話した。半年単位だという。もう一人転びやすい子がいて、その子とうちの子とを順番に見るという。主に体育、家庭科などの時間。去年はあまりストレスを感じないで過ごせた。今年度はエレベーターの問題がある。教室が二階なのだが、子供同士で乗っちゃいけないと言われ、休み時間にも下に降りられず、二階に缶詰状態。私がいるときは許されるが、その時私は乗らず、一人で操作させる。実績を作って示していきたいと思うが、まだ認められない。」
「いちばん下の子が二十一歳で、もう学校とは縁がないが、わらじの会の活動に関わっている。今年度から春日部市では、その学校の実情に応じて、補助の先生を加配することになった。障害児だけということではない。始まったばかりのこの制度の実態を調べる必要があると思っている。」◆なぜ学校として責任もとうとしないの?「担任次第」とは…
「うちの子のトイレの介助について、学校でやってほしいと思うが、医療行為になるので、看護師の資格がないとできないという。でも、保健の先生が看護師の資格を持っているかどうかわからない」
「うちも、小学校一年生のときは付き添えと言われて、最初からけんかになった。少し付いたが、付いていると先生もいやなんだと思う。そのうち、だんだん離れるようにしてきた。学区が途中で変わったら、そこの先生が「危険なことはわかりますか」と訊いてきた。「わかります」と言うと、「じゃ帰っていいですよ」と言われた。それで親を介さずに子供との関係になった。周りの子も、うちの子がいてあたりまえという関係ができた。担任次第だ」
「いまも担任次第だと思う」
「そのへんが腹立たしい。でも、わりといい先生に恵まれていた。親が付き添うのが当然なんて、いつも親に見られて先生もいやだろうに」
「いやがってますよ」
「遅れましてどうも。うちの子は今年普通学級の一年生になりました。事前に学校に行き、先生とも話をしました。その時、学校から補助の先生を教委に申請しているが、まだ承認されていないので、当分付き添ってくださいと言われ、ずっと付いています。付き添えといったのは学校なのに、ほかの子が担任を怖がって『うちに帰りたい。ママに会いたい』と叫んだら『あなたが付き添っているから子供たちが落ち着かないので、廊下に出てください』ということになりました」 「周りの子も先生次第だよね」
「うちの子がちょっかいを出すというので、隣の子から席を離されています」
「うちの子が学校行ってたとき、放課後迎えに行くと担任が子供たちを並ばせておいて、「今日はこんなことをやりました」「あんなことをやりました」と大変だという感じで言うので、「ああそうですか。私、そういうことやれって言わなかったですけど」と返した」
「子供なりにわかっていて、うちに帰ってくると、学校でよく声をかけてくれる校長とか補助の先生の名前を言うんですよね」
「うちの場合、学校が変わって先生が変わったら、見事に変わった。学校がそんな窮屈なところで、子供が育つわけがない」
「うちの場合、担任の先生に左右された典型といえる。一年のときは丸一日付いてくれと言われた。長年先生をやって来た人で、自分の考えがあり、曲げてくれない。車いすだから高いところは手が届かないので・・・などとお願いしていたら、突然『もう私はうんざりです』と言われた。『○ちゃんさえいなければやらなくていいことを、やらされているんです』これにはさすがに私もキレてしまい、その場で訂正してもらった。学校が変わったら、今度はおおらかな先生で「私、見ますよ」と言われた。ちょうど『特別支援教育コーディネーター』というのができたときで、その先生もやってくれた。前は『休み時間は業務外』とも言われた。決まったことしかできない先生か、融通を利かせてやる先生か、担任の先生によって大きくちがってくる」
「私が働いている学校は特殊学級がなく、いろんな子がいる。私自身は地域で生まれた子は地域の学校でと思う。でも、教員三十人の中はさまざまで、障害児発達診断を受けさせろという教員もいる。でも、子供がいちばん助けてくれると、私は思う。去年、一昨年、特学適だった子も、子供たちから見れば一緒にいるのが当然なんです。子供たちが「こんなことできたよ」と教えてくれる。周りの障害のない子も一緒に育つ。養護学校の枠に入っちゃうと、後で戻ってくることがほんとに出来ない。しがみついてでも、いたほうがいいと思う。どんどん連絡でもしあって、なんとか一緒にやってくれるといいと思う」
「先生のほうから私が担任したいと言うことはできるのか」
「校長が、この教員はこの学年と決めてしまう。学校によっては、学年主任がいちばん大事なところをもつという場合もあるし、みんなが平等にという場合もあるし。あとは校長判断」
「障害をもっている子を受け入れようと思わない先生は、障害をもたない子についても同じだと思う。子供が手がかかるのはあたりまえ。できれば障害をもった子のお母さんが、クラスのほかの子供のお母さんたちと話していくといいと思う」
「うちの子が消えれば、その次にほかの子が狙われるのは当然だもの。やはり親同士のつながりが大事だ。うちの子の送り迎えをしていたら、ほかの子で忘れ物をした子がいて、それを私が急いで届けてやったりといったこともあった。大人になったいま、街でうちの子の同級生に会うと、「子供何人できたよ」とか話してる。もし障害のある子が生まれたら、うちの子ががんばっていたからと思ってくれるのかも。余計なことかもしれないが」◆ 学校のバリアフリー化ってなんなの?
「さっきのエレベーターの件なんですが・・・・・・エレベーターだけじゃなくて、一階と三階に障害者用トイレがあるんですが、この子には使えないんです。便器の位置が高くて。その後しばらくして体育館が建ち、今度は使えるトイレができるかと思ったら、やっぱり同じ高いトイレができあがってきた。どれも大人が使うトイレで、いま学校にいる子供が使うトイレじゃない」
「災害時に近隣の住民が避難してきたときに大人が使えるトイレを作るというのも、わからなくはないが、足場など工夫されていないのか」
「学校にお願いしてもだめなので、スノコを用意して自分で工事した」
「うちの子供が小学校に入ったとき、入学式や授業参観のために車いすのぼくが行けるようにしてくれたのになあ。」
「娘が学校に行ったとき、シャワー室など車いすの子のための改造をした。今の状況はひどい」
「できあがったものは直せないけど、水のみ場とかは娘用に直してくれた。二度手間になっている」
「幼稚園の担任の先生は宿泊学習もやってくれたが、小学校に入ってからはずっと付き添い」
「養護学校でも付き添ってる親がいる」
「人工呼吸器をつけている子の親と話したが、生きていく上で必要なことは医療行為じゃないのではないかと。障害のある子供に手をかけてくれる先生とそうじゃない先生の差。責任をとりたくない先生なんじゃないか。昔の先生は、おもらしする子のためにパンツを二、三枚持っていた。それから、付き合い方がわからない。自分自身がそういう子供の中で育ってない。いまの先生は結構エリート。学校の勉強ができても付き合い方はわからない」
「うちの子をみて、何年かみて、子供を見る目が育つ。同じクラスの中にいて、いろんな子がいるのはあたりまえ。昔もこういうのあったと聞いて不思議。いまの子達のほうが大変」
「先生にもよるし、先生と校長と学校の関係。県教委に言ってはいるが、県は研修していると言っているが、机上の話。差別事例を伝えているが、一部の例だと思っている。上田知事にも言っているが」
「学校を卒業したら、地域の現状がわからなくなっている。縁が切れて何年も。一緒にやってきた仲間で作業所を作った。そこに養護学校の先生が来て、入れてくれと。入れなきゃならない。じくじたる思い。どうしていったらいいか」
「声をあげていくしかない」
「養護学校を卒業して作業所に来た子、親も何も思っていない。養護学校に入れて良かったと思っているくらい。私達も段階を踏みながらとは思って、作業所を作ってやっているが、単なる受け入れ先になってしまっている。パンをやっているが、作っているときは障害者そっちのけで・・・自分でも何やってるんだろうとも思う。それでも息子はパンのときはちゃんと起きていくから仕事だと思ってるのかな。養護学校の卒業生を受け入れていかないといけないし、おもしろくもなんともないんだけど。だから今教育が原点だったかなと思い返し、こういう場に来るようにしている。みんなと一緒ということにこだわってほしい。一緒に育った子が大人になった時、どこかで覚えてくれている」
「地元の中学の卒業式。とても良かった。○君がいてくれてよかったという言葉が」
「うちの子のときも卒業式はあたたかかったよ」2,006年5月13日
埼玉県教育委員会教育長 様
どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会
2006年5月22日
埼玉県教育委員会教育委員長 様
代 表 斉 藤 尚 子
みんな一緒に普通学級へ・埼玉連絡会
代 表 加 瀬 正 美
埼玉障害者市民ネットワーク
代 表 野 島 久美子
要 望 書
新年度が始まり、教育局の皆様方におかれましても新たな気持ちで教育行政に取り組んで頂いているものと存じます。4月28日にはさっそく新体制での話し合いの場を設けていただき、ありがとうございました。
残念ながら昨年度は連絡会関係の3名の障害のある生徒が、定員内不合格という結果に終わってしまいました。何度ももたれた話し合いや高校教育指導課長のご尽力があったにもかかわらず、このような結果に終わったことは埼玉県高校教育の後退と言わざるをえません。昨年度に引き続く課題の検討とさらに地域で共に学びたいという障害のある生徒たちの願いを受け止めていただくために、以下のことを要望いたします。
1.障害による不利益をなくすためには、受験上の配慮はもちろんのこと、定員内不合格を出さないことが最低条件であることを確認し、中学、高校にも早くから説明を徹底して行って下さい。2..入学者選抜について、高校の統廃合が進む中、障害があるために遠くの高校へ通えない生徒のため、地域の公立高校に優先的に入学できるよう配慮してください。
3.昨年度、課長、主席が高校に直接指導したにもかかわらず、定員内不合格が繰り返され、連絡会関係の3人の生徒が切り捨てられたままになっている事態を一刻も早く打開してゆくために、県教育局としてどう行動するのか、その手順も含め具体的に示してください。
4.高校に対して、入学後の高校生活に関する不安を解消するために、義務教育段階の通常学級で学んでいる障害のある生徒の学校生活のようすや受け入れ校の工夫などを直接知ることができる機会を保障して下さい。また、受験する予定の障害のある生徒が高校に体験通学する機会を保障することによって、教員たちの本人とのコミュニケーション能力を高め、入学後の高校生活に関する不安解消もできるようにして下さい。
5.貴局は中学校の「心のバリアフリー」の授業の教材として人権啓発ビデオ「風の旅人」の活用を勧めており、そのビデオから学ぶべきポイントの第一として「障害を『どこかに異常があって何かができないこと』と固定的にとらえない。」と、正しく述べています(貴局のホームページ)。これは、「障害」とは「障害がある」とされた個人のからだや心の「異常」とか、その「異常」によって「何かができないこと」であると見てしまう固定的な見方への鋭い批判です。そのような「個人の特性」と見えるものは、実は多数の他者との関係が重なって投影された姿なのだということです。固定的な見方では「コミュニケーションが成り立たない重い障害のある人」と見えるものが、実はさまざまな人々が共に学び、共に働き、暮らしあう体験を失い、忘れつつあるこの地域社会の現実なのであり、周囲の人々のコミュニケーション能力が衰えているということなのです。
連絡会関係の3人の生徒達を「能力・適性がない」と定員内不合格で切り捨てたことは、まさに高校と貴局が「共に学び・共に生きる」上での能力・適性を失っていることを意味します。この連絡会関係の3人のような手がかかる生徒を受け入れたら高校は成り立たないといった思い込みは、ビデオから学ぶべき第2のポイントである「真の自立とは他者の手を借りることにより、初めて実現するものである」ということと正反対です。この3人の生徒を受け止めてこそ、初めて高校の教員・生徒も共に真の自立への一歩を踏み出すのではないでしょうか。
ホームページの内容を、どのように具体的な施策の見直しにつなげてゆくのか、明らかにしてください。
※話し合いの時間を有効にするためにも、ぜひ文書での回答をお願いいたします。