「障害児」の高校進学どこから来てどこへ行く
お話:北村小夜さん(障害児を普通学校へ全国連絡会世話人)

 障害があっても高校へ行こうという子供は確実に増えているが、受け入れがよくない。吉井さんの受験の話をうかがって不安になり、先日話しに来たのが今日のきっかけ。
 「共に学ぶ」というのは低学年だけではなく高校ぐらいまでは視野に入れておかないと。それが卒業してからの第一歩になると考えている。
 板橋のUさんは「私、高校に行ったからバカが治った」と言った。中学校までさんざん特学へと言われてきた。高校に行ってようやく一人前に扱われた感じなのだろう。
 高校に行くとき、まず「試験があるよ」と言われる。私も三十年前、担任していた特学の子が高校行きたいと言ったとき、「試験があるよ」と言ったら、「がんばるよ」と。「漢字書けないじゃない」と言ったら、「高校行って漢字書くもん」と。それで、そうだよなと。校長、教頭も「高校行きたいよな」と。結局全日は落ちて、定時制に。その時、私は、内申書に、国語は「なめらかないい字を書きます」、算数は「繰り上がりで苦労してます」と書いて送った。一ヵ月後、定時制の教員から電話があり、「北村先生、さぼってたんでしょ。僕が教えたら5+6ができましたよ」と。さすがですねとほめておいた。でもまた一ヵ月後に電話があり、「あれは高校に入ったはずみだったんですね。8+5はできません。苦労してます」と。
 数学の教員が本人に言った。「君が二年に上がると、僕はいっしょに勉強できない。もう一年、僕といっしょにやってみないか」。そう言われて「うん」と。そして留年に。そのときツッパリの一人がやはり留年。「お前も留年か」と。それで結局ツッパリは中退せず卒業した。元教員は、いまでも「すすむくんのおかげで卒業できた」と語る。

 高等学校の学習指導要領;「心身に障害のある生徒」が高校に来ることを国が認めている。だから、当然のこととして要求してよい。遠慮するといつもうまくいかない。
 卒業について;74単位以上とか・・・すべて絶対的なものではない。いろいろな工夫ができるように、システムとしてはなっている。「単位の趣旨を踏まえて、弾力的に」と書いてある。
 神奈川の集会に行ったら、「この子についてはすべての教科を3から始めよう」と教員たちが考えている高校があった。ほんとはそういうことではなく、教員たち一人一人に3になるようにがんばってほしい。でも、学校全体だとそうはいかないのだろう。
 別のところで、アルファベットを教えるといったことは善意からなのだが、本人や親にしたら、そういう形で教える養護学校へ行かせるのがいやで普通学級に教える。一対一で教えるとできる子がいて、普通学級でいじめを受けて特学で笑顔が出た子がいると、やっぱりここが合っていると思う特学担任がいる。でも笑顔が出るのなら、みんなの中で出てこそ値打ちがある。
 ダウン症のやっちゃん、皆の中で字を書いていた。中学になると「ちょっと黙ってろ」と言われることが増えてきた。テストのとき、やっちゃんが百点のみに紙切れをくれる。私にはわからないが、生徒には「おめでとう」と読める。生徒同士で俺は五枚持っているとか自慢しあっている。
 高等学校のとき、やっちゃんに足蹴りをかけた生徒がいたが、同じ中学から受けた四人の子がかばった。それを見て「四中から来る生徒はすてきだね」と言ってくれた。予想通り合格した。
 昔風の「高校行くならこれだけクリアーしないと」という適格者主義はある意味でなくなってきたが、「その学校の教育を受けるに足る能力・適性」という新しい能力主義が増している。少し前までは「定員内不合格は県教委として出さないよう高校に言うが、最終的決定は高校で」と言っていた。しかし、宮城では「定員内不合格はあたりまえ」という雰囲気になってきた。すべての学校で定員内不合格が出ている。いま東京、神奈川、大阪以外はみな定員内不合格を出している。

 事前協議―障害が重いからこうしてほしい、ということが、かえって不利になる場合もある。高校の先生の感想として「ああ試験の日だけでこんなに大変なんだから、毎日ならさぞ大変だろう」と。
 増田裁判のとき、「学校が教育をするところならば、教育を必要とする順番にとったらいいだろう」と私は言った。そう話したら、裁判長も深くうなずいた。ひょっとしたら勝つかもしれないと思ったが、だめだった。高校の受験をするというのは、そういうことをどれだけわからせられるか。
 特別措置―たしかに必要だからする。金井康治の受験のとき、ずいぶん長い間教委と話合った。二晩ほど都庁に泊り込んで。得た結論は、「いまの受験の制度は障害児にとって差別的である」ということ。そういう確認文書をとった。金井康治の勉強につきあって、何もわかっちゃいないことがわかった。何も触ったことがないから、圧力とか温度とかわからない。そういうことは本人とか、近くの人が言ってくれないと、なかなか周りの者にはわからない。
 84年に三人の全盲の子が受験したとき、解答用紙、問題用紙を点字にした。しかし採点したら、三人とも不合格。問題をていねいに点検したら、たとえば国語の中に色彩の問題があった。本人の障害の不利に関する問題だとして、それをはずしたら二人が合格した。
 そういうふうにていねいに受験する子供の必要に則した要求を出していかないと。
 梅村涼の受験のとき、母が「漢字にフリガナを」と求めたら、すぐ「漢字を読むのも受験のうちです」と断られた。私が「だって知恵の足りない子には知恵を補うべきでしょ」と言ったらOKになった。結局、音読という形だが。
 神奈川の場合、添付書類を有効に読むという形で、1・4倍でも合格している。書類には簡単なことしか書いてないが、それを読む気になった人が読めば合格になるということ。それが不合格だという裁判など起きていない。
 要するに、いまの選抜制度では不利ということ。神奈川の場合、合格はしたが、高校側で(好意として)「介助をつけましょうね」と。親が「皆の中で育っていきたいからここに来たんです」と。校長は困って「じゃ、2人担任にすることだけは認めてください」と。その次に入った人は同僚に言われてつい「ありがとうございます」と言ってしまった。やはり学校と本人は対等ではない。言っていかなくてはならない。
 高校へ行くことが増えていると同時に、ちょっと油断していると元に戻ってしまっている。新潟で今年、全員定員内不合格。「言われたことを全部やったけど入れない」と言われたが、今のように適格者主義がはびこっているとき、具体的なことだけではなく、なぜ高校に入れたいのかを伝えていかないと。

(6・11どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会主催の学習会でのお話のメモです