TOKOミニおしゃべり会を開きました

あしすと春日部で 参加者:12名 2007.12.6(木)

自己紹介と最近の状況

SR 娘はもう40 歳。このところ父親が送迎している。3 年間休まず行っているし、最近はよく食べて健康。

SM 大袋小学校の特学。大袋北小の普通学級に通っていたが、移った。最近はもといた大袋北小に特学ができたから移らないかと言われているが、せっかく慣れてきたのに。

IW 日大4 年。来年から江戸川区の私立で教員になることが決まっている。今日は子供の問題について、ということで、勉強になると思っている。

NK 身体障害者の通所授産施設・くらしセンターべしみの職員をしている。だからいつもはどちらかというと大人の障害者とのつきあいが多い。最近あった面白いことでは、とても寒い日に「仕事発見ミッション」といって、お店とかにどんどん飛び込んでいって見学や実習をやらせてくださいということをした。その時、今日来ている実習生とは別の実習生が一緒に行ったが、その感想に、話をちゃんと聞いてくれてびっくりしたとか、こうやって外にどんどん出て自分たちのことを知ってもらうことはいいことだというのがあった。でも、なんでこんな寒空にみんなで外に出て知ってもらわなければいけないかを考えてほしいといった。最初から知られていればそんなことをする必要が無いからと。

YJ 幸松小の普通学級の3 年生で車椅子。最近身長が伸びてきて移動が大変になっている。持久走で完走して本人は達成感があった様子。学校は楽しく行っている。

YS 学校はみんなが行くところで、大人の社会の濃縮されたものだと思う。今、大人の障害者の就労、というか、就労できない人の問題に関わっている。昨日も、埼玉県地域労使就職支援機構のシンポジウム(http://www.saitama-np.co.jp/news12/13/22e.html)に行ってきた。そこにさいたま桜高等学園の校長も来ていた。高等養護学校というのは就職率100 パーセントの看板が売り。校長の話では看板に惹かれて3倍近い応募があった。中学校まで特学や普通学級に行っていた子供が来る。教師が実習先を開拓して150 何社確保し、うち何十社だかが雇用前提での実習をしてくれると言っていた。教員5 人が担任につかず就職専門のサポートをしている。でも、私たちのように地域で就労支援をしている立場からの実感では、高等部を卒業して就職してすぐやめる人も多い。今までいい子で育ってきた子が、就職して普通の対応をされるとショックを受ける。ズレというか、障害者のほうも職場のほうもイメージが違うすれ違いがある。それで辞めて再就職したり、作業所に行ったりするのだが、その就職できない期間の生活が一番の問題。でも、就職した後のことは地元の就労支援センターや生活支援センターと連携をとってやってもらうんだと勝手なことを言っていた。それなら県内に2 校しかないところに集めるのじゃなく、最初から地域の中でもまれて育つほうがお互いにいいじゃないか。現実とギャップがあるのに、それを前提としないで就職率100 パーセントの看板を出すのは公的な詐欺じゃないかと。社会の現実というか、学校内にある現実と世の中にあることは基本は同じ。地域の中でもまれてやっていく。一時的な避難所としては構わないが、ギャップの中でまわりとせめぎあって生きていくことがわかっていれば、それを言わずにそこに集めるのは詐欺だと思う。

TR 越谷北中の通常学級2 年。学校では子供間のいざこざなんかはたまにあるが、それは学校の中で普通に対応している。高校は行きたいところがあるようで、子供なりにいくつか候補をあげているようだ。

IU 武里南小の4 年。子供は車椅子。校外学習の付き添いを求められるが、親の参加費用も請求される。人手が足りないからと要請されて、仕事を休んでいっているわけで、その上お金を取られるのは変な気がしている。もちろん払えないことは無いが気持ち的に。

FY 豊春小の3 年で普通学級に。今とてもよくしてもらってこんなにスムーズでいいのかなと。でも個人面談では勉強も難しくなってきたしそろそろどうですかと。今のままでいいですといっているが、向うは納得していない様子。特学のある学校だからなおさらで、学校の中で移ればいいだけじゃないかと。さっきの話で思ったが、私も詐欺を感じる。そこに行きさえすれば何でもできるようになるというのは詐欺。実際特学は8 人も子供がいて教員はひとりで、見ていたら大変。総合学習の発表のときに、友達に役をもらった。指し棒係や紙芝居の枠を持っているなど、友達がこれならできると思って割り振ってくれた。それで郁美がやっていると他の子も見に来てくれた。周囲がよく考えてやってくれている。

SR 昔、自分たちの子供のときは遠足も修学旅行も一切参加できなかった。親がついていって、親の分も払ってやっと行けた。負担したくなかったら休んでいいと。交通費は親子で行けば半額になるし、それを学校に教えてあげたりすれば。

IU 払いたくないというのではなく、保護者が付き添わなければいけないのかと思う。SR 支援員がついてもお金はかかる。それをどこから出すのかという話も出てくる。自分がいけなかったら、他の人に頼むこともできる。

SA 子供も大きくなって、義務教育が終わってほっとした。あのころ障害児が普通学級になんてとんでもないという時代。卒業して11 年間民間企業で働いたが、からだをこわしてやめて今は家にいる。まあ、早い定年だと思って。学校は、地域の中で生きるうえで大切。今までそういう考え方でやってきた。今は生活のリズムも自分で作って何の苦労も無い。割引制度も、自分で稼げないから何でも使っている。贅沢に育てないことが一番。小さいころはわからなかったが。

WK 越谷市の生活支援センターの職員。TOKOは今まで冊子などは見ていたが、やはり自分で実際にどうやっているかじかに触れて考えたいと思って参加した。

付き添いと費用のことについて

NK 自己紹介はひと回り終わったが、IUさんの校外学習の付き添いの話や費用の話、他にも付き添いを求められたりしている人もいるだろうし、他の人の意見も聞いてみたい。

YJ 校外学習は付き添ってくださいといわれる。1、2年のときはお金は請求されなかったが、3年になって初めて請求されて払った。特学の子供には教頭とか他の教員が付いていく。付き添いは強要されていると感じている。もちろん、つかないといったらじゃあ来ないでくださいとまでは言わないが。

TR 自分は付き添いを言われたことは無い。

SA 学校に入れたら後は学校で見てくださいといってきた。付き添うなんてしなかった。そういうことをみんなで運動してきた。

IU K さんも林間学校も修学旅行も付いていって、料金も払った。自分も強要は感じるが子供が人質のようなもの。今まで築いてきた学校での人間関係を壊すのがいやで、それが学校の方針ならと従っている。でも、給食費も払わない親だっているのに、障害を持っているだけで同じ教育を受けられないのかなと思う。もちろん、親としてお金だって労力だって提供するつもりはあるが。

YS どこかで親と離れないと、ストレスの元では。周りにとっても。

IU 子供本人は親がいないほうが悪いことはできるしいいと思うが。

SA それを学校に伝えていかなければ。

IU でも先生の意識も昔と変わってきている。子供さえよければと思って。

UH 武里小の4 年。広汎性発達障害の子ども。学校はうまく行っている。

FY 付き添うとき、グループ行動でもずっといるの?2 年のとき、東武動物公園に行ったときに付き添った。その時は電車で出かけるときからグループ行動で、子供たちだけでやることに意味があるのかなと思った。その中に大人がいることでその意味がなくなってしまう。子供だけでやることをまわりの子供が味わえない。間違いそうになったときにこちらも口を出してしまう。本人も他の子供と一緒じゃないのはなぜかと思うだろうし。親も何か間違えたとき言わないのは意地悪しているみたい。ついていくのは明らかに教育的におかしいのではと、その時は郁美と二人で時間をずらして行った。

SR そういう親の気持ちをちゃんと校長に話してわかってもらったほうがいい。わたしたちの時代と先生の意識は違うし、それもわかる。今の気持ちをちゃんと話して考えてもらったほうがいい。

YS 学校だけでなく、市にも全体の問題として考えてもらわないと。今の学校の状況では学校だけでは考えられない。昔以上に付き添っている親は多いと思う。特別支援教育になり、かえって特別な支援が付かない子とか支援員がいない時間帯などには当然のように付き添いが強要されている。特別支援教育は障害のある子供たちのためではなく、障害のある子を排除した集団の中で新たに「手がかかる」とか「和を乱す」とみなされた子供たちを「軽度発達障害」としてさらにくくり出すために制度化されたもので、障害のある子はやはり「本来別のところに行くことが望ましい子」とされているのだから、支援員や教員も矛盾した立場に追い込まれる。他の子こもたちにとっても何なんだと思う。支援員がいなかった時代と比べてよくなったとは言えない。

SR 男の子も中学生ぐらいになると手伝ってくれるようになるのでは。

SA 親が一緒だと仲間だと思ってもらえない。

YS 狭山では全身性を子供に対して使えるようにしている。そういうことも参考になる。大学まで使える。

IU その人は学校の中には入れるんですか。コムスンは学校の中には入れないといわれた。

YS 入っている。

(注・支援員は春日部市の呼び方。越谷市は補助員。)

高校入試についての県教委交渉

NK 午前中で帰る人もいるので、資料説明をお願いします。

YS 資料の「高校」のところ。20 年ぐらい前からずっと県の教委と話し合いをしている。小さいころから近所の子にもまれて育ちたいと。高校も一緒に行きたいという意欲もあるので、ぜひ受け止めてほしいと話し合ってきた。今年度も2 回交渉を行い要望書を出した。2 年続けて高校を落とされている吉井君という子供がいる。車椅子で知的。受験上の配慮はある程度されるようになっている。問題を選択方式にするのは認められていないが、字が書けないから代筆とか、点字なんかは認められてきた。しかし、受け入れるための選抜は点数が取れないとダメ。定員割れの高校でも切り捨てられてきた。吉井君なども長く付き合っていけばコミュニケーションは取れる。コミュニケーションが取れないのは周囲との関係の問題で本人だけの責任ではない。しかし、1 回の入試では不利。その不利益を解消するために、受験上の配慮だけではなく、選抜上の配慮も求めてきた。東京や千葉、神奈川ではすでに行われている。これに対する回答が@で入試制度の改革を2 年後に行うので、それに併せて不登校やハンデのある子供に対する配慮を盛り込むことになったと。もっとも入試全体では、学力検査をすべての受験者に行うなど逆の流れだが。長年こちらの求めている部分では成果があった。今月中旬には結果が出る。2 年後の話だから、制度的には影響ないが、変わるとわかれば各校長への影響はある。定員割れのところに対しては厳しくしていく。入学させても卒業できないからと、単位取得や進級の問題を選抜前から問題にするのはおかしい、実際に今まで子供を受け止めてきた学校では様々な取り組みがある。Bの回答で、今後「卒業の見込み無い子を入学させることはできない」と言えなくなる。また、受験上の配慮を知らない人が多いが、それもホームページ上に載せることになった。全体としてはさらに学力至上主義の流れだが、今まで言ってきたこと、20 年やってきたことでは、一定程度の成果があった。高校へ行ってもばら色じゃない。他の子供だっていろいろ悩んでいる。でもそれを共有していくことが大切。

SR ぜひ、若いお母さんたちも連帯感を持ってほしい。

ON 所沢から参加。TOKOの通信は来ているがあまり参加できていない。下の娘が28 歳で知的障害。学校を卒業してからずいぶん経つが、今暮らしているところで授産施設に通っている。その中身も変わってきているが。施設には10 年いる。近くの幼稚園から普通の小学校で6 年間。中学も普通学級で林間学校や修学旅行にも行った。今でも京都で買ってきたお土産が机の上に乗せてある。思い出あるのはすごいなと。高校もいろいろ妻と話し、昼間で体力的に行けるところということで、最終的には電車で20 分ぐらいの狭山の家政学校に行った。3 年通って、裁縫などやった。形だけだが裁縫箱を今でも持っているし、縫うマネもする。学校って何だったのかなと思うと、自分の経験したことがその子にとっての学校。そういう意味でいろんな体験できたと思う。自分は来年1 月で定年を迎えるが、以後のことを考える時間として、今は2 ヶ月有休をもらっている。今までサラリーマン生活だったが、地域に戻りたいと思っている。子供と生活していきたい。学校のことはみんなで考えるテーマだと思っている。

今後のTOKOについて

YS 資料の義務教育のところの説明。特別支援教育ということになり、「支援」の名の下にくくりだされていく。障害のある子どもの問題というより、無い子も含めて子供の問題を考えていく場も必要なのかなと思っている。不登校の会の「りんごの木」の人とも一緒に何かできないかと話をした。障害のある子も含めて一緒に育っていく上での課題、悩みを話す機会が必要だと痛感している。子育て支援が注目されているが、そういうグループを誘って、門平さんを含めて何かできないかと思っている。障害を持った子供を何とかしてくださいだけでは、周囲の子だって大変なんだということになってしまう。そうではなく、子供の問題を話し合う場をできればと思う。来年度の中ごろでいいから。

市との話し合いに向けて

SR 今日TOKOおしゃべり会をやることは春日部市の教育委員会にはもう話してある。今後市との話し合いの場を持てればと思う。越谷市との話し合いも同時進行したい。資料を越谷市の教育委員会にも持っていったほうがいい。

NK 補助員について、三上さんが亡くなる前にやった話し合いのときに、学校課の担当だからそことの話し合いもやらなければと言っていたができていない。それも含めてやらないと。

YS 春日部では「ことばの教室」で「先輩の話を聞く」という場があると聞いたが。

UH 春日部は障害福祉課主催の「ことばの教室」で「先輩の話を聞く」機会がある。普通学級、特学、養護に就学した子供の親の話を聞く。でも普通学級に行ったという子供はみんなかなり軽度の子供。うちの子供が普通学級にという話をしたらとんでもないという顔をされた。先輩の話を聞く機会にしても自分たちには声がかからない。そういえば「ことばの教室」でST の訓練中に何かのテストをして、何なのか聞いたら、教育委員会に聞かれた時答えられるようにということだった。障害福祉課のことばの教室は就学前だけ。親の会も独自にことばの教室をやっている。療育を求めて親の会に入る人も多い。ことばの教室に行っているだけだったら、自分も特学に行っていたかもしれない。狭い世界で、しかも指導する側も重い障害を持っている子を受け止めている学校のことを知らない。TOKO を知らなかったら自分も同じだったと思う。

FY 療育を受けさせたい親心から相談に行くと、特学を勧められる。

ON 療育を求める気持ちは気持ちとして、でも学校は別。そこに踏み込んでこられると何か違う。療育の必要性はあるかもしれないが、やっぱりいろんな人と共にと思う。

YS 梅村さんという小児科医の本で「子供のことばはくらしから生まれる」というのがある。

FY そういうことを言ってくれる療育の人がいない。

SA 自分は何もしなかったが、今、娘のことばはオウム返し。やっておけばよかったかとチラッと思うことがある。

YS オウム返しだろうとことばが出なかろうが、自分なりのコミュニケーションがある。

UH 療育には限界がある。毎日同じ様な子供と接するほうが刺激は多い。でも親心として療育を求めてしまう。

IW 親の一生懸命さ、自分の子供も愛せない親が増えている中で、一生懸命さを感じた。でも、普通学級にというときに、今の教育現場では教員に求められているものが大きい。障害児に限らず問題のある子どもが増えている中で、学校に求められてもキャパが無い。教育にかけられる予算も少ない、教員も少ない。教育全体の問題のひずみが影響している。予算増やすとか教員養成のあり方とか、上っ面の教育改革ではないものが求められていると感じた。

YS 学校の中だけじゃ煮詰まる。他者が入っていくことが大事。それも、部分的にではなく、学校全体のことを一緒に考えられるような入り方でないと。

今後の予定

1 月中に、市との話し合いを準備する場を持つ。→それぞれの問題を整理。学校との話し合いで解決していく問題と、制度的な変更などが必要で時間がかかる問題など。

1 月か2 月に市との話し合い。
準備の話し合いの日程、市との話し合いの日程については各自希望日を白倉さんに連絡。白倉さんが日程調整。

3 月30 日(日)TOKO おしゃべり会→これもあわせて準備。
来年度の企画
障害児の問題だけでなく子供の問題全体について話す機会、子育て支援や不登校のグループ、活動している個人を誘ってできるような場を計画。→それぞれ、誘いたい人やどんな場にしていくかのアイディアを考え、準備していく。
3月のおしゃべり会で話し合う。予定としては来年度前半に。