TOKOとの出会い
揺れながら 一緒に
新井 茜(さいたま市)
下の娘の成長について疑問を持ち始めたのは2歳を過ぎたころ。
「何かおかしい?」と気付き始めたが、どこに行って誰に何を相談すればいいのかさえ分からなかった。とりあえず市の育児相談に出向いたが「まだ年齢が低すぎるから様子をみましょう」と言われ、半年くらい様子をみていたが、あまり変化が無かった。
意味のある言葉がなかなか増えない。食べ物はとにかく全てが『パン』で、動物は『ワンワン』だった。
もともと気性が穏やかで、とりたてて大騒ぎすることもなく口数も少ない子だったので「これも個性のうち?」と思いたい反面、「もしかしたら何かあるのかな」と思い始めていた。加えて、母子手帳の成長をチェックする項目で『いいえ』に該当する個所が増えてきたこともあり、何とも言えない不安な気持ちになった。
この子の上に2つ違いの姉がいるが、何においても成長や習得が早く、2歳のころには一人前に会話ができるようになっていた。自分の意見も言えるし、どんなことにでも積極的に取り組める、明朗活発を地でいくような子だった。同じ親から生まれた子なのに、ここまで違うものだろうかと思うほどだ。下の子と接していても、上の子の育て方は参考にならず、「二人目だから」などという言葉は慰めにさえならず、子ども一人一人が違っていることを痛感させられる毎日だ。
2歳10ヶ月の時、ようやく小児神経科の紹介状が出て受診したところ、その場で精神発達遅滞の疑いといわれ、後に正式に診断がおりた。ある程度覚悟をしていたことと、診断名がつくことで今後の対応策が見えてくるのでは、という見通しがつきそうな安心感から、その告知を素直に受け入れることができた。
診断名がついたものの、障害全般について全く何も知らなかったので、まずは情報収集から始めた。と同時に、娘の居場所作りを、と考え、近くの幼稚園に率直に話をしてみた。すると「集団生活をすぐに始めるのがいいだろう」とのことで、快く迎え入れてくれることになった。それ以来、幼稚園での生活は驚くほどスムーズで、嫌がることなく通い続けている。先生方、友だち、周囲のたくさんの人に囲まれながらの園生活は、文字通りのびのび過ごすことができ、自分に自信が持てる体験・経験を重ねることができている。また、在園中の3年間、同じ先生を副担任として配置していただき、園の手厚い配慮に心から感謝している。
岩槻に嫁いで早いもので10年になる。結婚したころは仕事をしていたこともあり、地域のことには無関心だった。やがて子どもが生まれ育てていくうちに、
※『岩槻ゆとり子育てネットワークたまひな』については「子育て新聞」(越谷NPOセンター発行。岩槻区内の子育て関連施設などで無料配布中)にて詳しく紹介している。
TOKOとの出会い
サークルや園生活を通して娘の成長を実感する反面、就学という乗り越え難い壁が迫ってきている。生活するぶんにはあまり不都合を感じないが、学習面になると話は別。年長の2学期も終わろうとしているのに、数字や文字の認識がまだまだ不十分なのだ。ようやく興味が出てきたが、習得するまでに時間がかかるタイプなので、無理に教え込んでも仕方ない、と積極的に働きかけていないことも要因のひとつかもしれない。今の発達状況からすると、特別支援学級でゆっくり取り組める環境の方が娘の自信にもつながるだろう、と考えていた。ただ、自分だけの偏った思いだけで決められるほど簡単な問題ではなく、たくさんの人の意見や考えを参考にしたい、と思っていた。
新聞でTOKOの就学相談会があることを知ったのは、ちょうどそのころで、「どの子も地域の学校へ」という考え方が衝撃的だった。学校の間だけ特別支援という制度に守られていたとしても、いずれは社会に出ていかなければならないこと。いつまでも親が付き添ってはいられないこと。子自身の本当の自立とはどういうことか。
あの相談日以来、普通級という選択肢があることに遅まきながら気付き、かなり揺れ始めてしまった。たくさんの体験や経験をする日々の積み重ねが「自分」を形作っていくとしたら、それができる場所はどこなのか。あまり欲張りすぎると娘自身がつぶれたり崩れたりしないか。どこに就学しても悩みが尽きないのであれば、周りと同じ普通級に入れるのが当然じゃないか。現実には支援が必要な娘の現状や課題を見ないふりをして、親の希望を押し通そうとしていないか。そもそも、どうして普通級と特別支援学級があるのか…。悩みは尽きず、答えはまだ出そうもない。
入学がゴールではないことは分かっているが、その先に待つ生活は想像すらできない。どの場を選んでも娘と一緒に成長して行きたい、と今はただ覚悟を決めるだけである。