どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会(斉藤代表)

わかりますか?高校入学をめぐる争点


埼玉県教育局高校教育指導課(細田主席)

共に生きる埼玉は共に学ぶ公立高校づくりから

 上のやりとりは、どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会(斉藤尚子代表)が、11月19日に行った交渉の要望書と、それに対する県教育局の回答。連絡会は、単純明快に要望を投げかけた。それに対して、教育局の回答はなんとも歯切れが悪い。TOKOの読者のみなさんは、この回答の意味がおわかりだろうか?


入試方式自体が不利益だ
 「障害のあることにより不利益な取り扱いをすることがないように」というけれど、知的障害や言語を含む全身性の障害などの場合、テストを行う側が本人独自の意思表現を理解しないままで、問題を作り、判断するのだから、そうした入試方式そのものが「不利益」なのだ。連絡会は局と交渉を始めた20年前から、このことを指摘してきた。歴代主席は、交渉の中で、ウーンとうなりながら、これを認めてきた。だが、すぐに方式を変えられない。だが、「不利益」はなんとかせねば。そのためには、原則、受け入れるしかない。だが入試がある。そこで、交渉発足後間もなくから県が約束してきたのが、定員内不合格解消に努め、定員割れの高校では原則全員入れるようにすること。局は「強い指導」をしてきたというが、最終的には「合否は校長の裁量」として、定員内不合格は出され続けている。

近隣都県では積極的に入試を変えている
 入試方式による不利益は、とうぜん定員割れの高校だけではない。これに対し、本県では「学力検査の際特に配慮を必要とする措置」が認められているが、点字受験とか別室受験、代筆など、主に身体障害への配慮にとどまっている。対して、東京、神奈川、千葉では、記述式回答をすべて選択式に変えたり、障害をもちつつ学ぼうとすること自体を積極的に評価したり、移動の困難に配慮して近所の高校に入りやすくする等の積極的な入試方式の改善を行い、定員オーバーの高校でも知的障害の生徒や重い障害の生徒を受け止めてゆけるようにしてきた。なぜ埼玉はこんなに立ち遅れてしまったのだろうか。

受け止めた高校・教員への支援が必要だ
 高校の教員たちは、障害のある生徒たちとのつきあいがほとんどない。それは、「高校は義務教育ではなく、その学校の教育を受けるに足る能力・適性のある者だけが来るところ」という「適格者主義」といわれる考え方で、入試をはじめ、単位取得や卒業認定で、できない子を切り捨ててきたことと無関係ではない。また、障害のある子は、義務教育段階でも、他の子供たちとは別の教育の場を強いられてきたため、中学卒業後はほとんどが養護学校高等部しか行けないものだと思い込まされているので、高校を受ける障害のある生徒自体がめったにいなかったからでもある。
 だからこそ、高校・教員たちへは、十二分な支援を県として行う必要がある。東京、神奈川、千葉では、人的支援を行っているが、本県の教育局は言を左右にしている。都教委は、高校・教員向けに、「障害のある生徒の指導について」と題する資料を配布し、法令や指導要領、判例を引用して、生徒の指導上の配慮・評価・進級・卒業について、弾力的な運用を行うよう説いている。千葉では、障害のある生徒の高校生活で課題が生じた高校が、連絡会に助言を求めてくるという。受け止めた後の高校・教員への支援がなければ、なんとか入れようという気も起こらないのは当然だ。

共に生きる埼玉づくりへの関門
 国連の障害者権利条約に署名した日本政府が、批准に向けて国内法を整備する時の焦点のひとつが分離教育の見直し。だが、高校は義務教育ではないので、県がその気になれば十分やれる。高校は社会への入り口。小・中学校は原則分離だが、県内で千百十一人もの生徒が障害があっても他の子と一緒に学んでいる。今はその一割しか高校に入っていない。だから他の生徒も教員もつきあいが薄い。職場・地域で出会ってもつきあい方がわからない。共に生きる埼玉は、共に学ぶ高校づくりから!