高校行って どうするの? どうしたの?

 公立高校を共に学ぶ場にと、連絡会は門を叩き続けてきました。でもまだ狭い隙間がやっとあいた程度。それでも行くのですか?たった3年のことなのに。不合格にされて浪人するくらいなら、養護学校高等部に入って、その先の進路を考えたほうがいいんじゃないの?たしかにそうですね。でもその先の進路って、そんなに安定したレールがあるんでしょうか?障害者雇用のかなりは非正規雇用です。福祉の現場は障害者自立支援法の嵐にさらされています。その時々の社会をどう生きるかが問われます。そんなヒントになれば、高校卒業生の体験を載せます。養護学校に在籍しながらも学校に行けなかった過去を背負った北川さんと、いま大学生の綱島さんです。いずれも(社)埼玉障害者自立生活協会の「通信」よりの転載です。

春日部高校定時制2000年3月卒業生
北川(旧姓・木暮)みずき(さいたま市)

 もう12年前の事 私は学校行けずに中学・高校は在宅でワープロを一人でしてました。
 その影響からネットークのどの子も普通高校への参加に興味をしめし、22才から深く考えました。23才の時に将来のために高校を受けました。
 受かるはずがないと全介助の私には受かるとは思いませんでした。
 足にえんびつにて車椅子からおり、床に座り試験を受けました。
 春日部高校に行き、番号があり、色々ありましたが 入学し新しい生活がはじまりました。
 夕方の5時15分から登校し、私達の時代は古い校舎の1階に四年間、私のために2クラス合わせ62人でした。そのうち29名卒業しました。
 男子トイレに身障者トイレがあり、担任や養護と。いつのまにか女子の生徒さんに、手伝ってもらいました。
 最初は足に乗せるテーブルが用意してワープロをおき、中間、期末テスト受けました。はじめは私のことをジロジロと給食も担任や保健の先生が食べさし、ときどき食べそびれてました。
 ある日、養護教師をめさした年は同じ年で介助教員が週3回つきました。介助員に反対してる人もいました。かなり心のかっとうもあり、だが、いない週3回は(当時隔週に土曜登校が義務でした)、介助員がいないとカバンから教科書などを取ってくれたり、当時は不良した子、中国人、16才から60才勉強したくて色々と駅にクラスの不良少年が見かけ階段手伝ってくれたり、心のうちは優しい子でした。
 大人柄にそうみたり、学校辞めた生徒もいました。私も毎回「木暮何考えてる。色々とあるが、みずきは出来るねよ。やめちゃー意味ないけん」担任は広島生まれでした。「英語くらい出来と、つうしまであんきしな」と家まできて「みずきは何を考えてる。私にはごまかせないぞ。学校きんや。分かるな。みずき」心から人を思う担任でした。
 部活は一年の時は何やるか分からず読書部でもつまらないもので寝てました。2・3・4年は書道部、やりがいも私にはありました。
 運動会はパン喰きょうそうでした。いまだに寒い体育館、寒い中いらとしてました。今は8年たつのでいい思い出過ぎますね。
 昼間は運動しながら今になると自分のために通い、20代前半から後半に人生勉強をさせて頂きました。記憶にそって書かさせて頂きました。
(SSTK「通信」NO.138より転載)


 いつも、連絡ありがとうございます。
 なかなか参加できませんが、「こんなことやってるんだな.」と思いながら読ませていただいています。
 久しぶりに健作の近況をお伝えしようと思い、メールさせていただいています。
 高校をこの3月に卒業しまして、4月から大學の文学部で日本史を学んでいます。中学生の時から、日本史を勉強したいという希望を持っていましたので、「やっと、日本史が勉強できる!」といったところのようです。
 自宅からだと片道2時間弱かかっていましたので(松伏からだと、新越谷までバスで30分かかるんです)、今月から、一人暮らしを始めました。
 障害があることで、部屋探しも難航することを覚悟していたのですが、そんなこともなく、すんなりと決まって、親としてはホッとしました。
 親としては、経済的には大変ですが、本人の強い希望がありましたので、それを尊重して、思い切ることにしました。
 本人は、まだほんの二週間ほどなのですが、親から離れて自由を満喫しているようです。
 無事に4年間過ごして欲しいと願うばかりです。
 大学のほうは、体育がどうなるのかな、とちょっと思っていましたが、「コントロールクラス」というのが設定されていて、講義中心のクラスを取ることができました。
 身体障害だけでなく、健康上の理由とか、年配の方とか、結構な人数がいるそうです。
 では、また、近況報告します
 綱島信子

 TOKOをメールでお送りしている綱島信子さん(松伏町)から上記のようなお便りをいただいたので、さっそくご本人のアドレスをお聞きして、社団法人・埼玉障害者自立生活協会の機関誌「通信」への寄稿をお願いしました。障害者の進路というと、就職か福祉かと考えるのが常ですが、大学という道もあることを紹介してほしいと思いました。
 ほどなく健作さんから送っていただいた原稿が以下です。「通信」から転載いたしました。

大学行って…一人暮らしして

 正直言って大学生活といっても何を書けばいいのかよく分かりませんが、思いつくままに書いてみます。
 まず、大学には推薦等ではなく一般入試で入りました。入学する際、脳性まひの障害を問われることはありませんでした。健康診断の際に言っておきましたが・・・実家から、大学まで約2時間かかりますが、通っていました。が、体もしんどいし、通学時間の無駄というのもあったし、家を出たいという思いも、もともとあったんで、6月から1人暮らしをはじめました。 親には経済的負担は増えるので、悪いとは思っていますが・・・・加えてアルバイトはしようとは思っていますが、なかなか自分でもできそうなものを探すのに苦戦しています。なので、まだしていません。
 本題の大学生活についてですが・・・所属は史学科 サークルは将棋部です。専攻は来年からなのですが・・・日本近代史にしようかと思っています。高校とはだいぶ違うので、友好関係はどうしても狭くなってしまいます。 しょうがないです。
 大学の校舎は比較的新しくできたものなので、階段にも手すりは付いています。エレベーターもあります。ですので、特に不自由は感じません。
 体育に関しては、体調がよくない人たちでやる授業があるので、できないなりに配慮されつつ参加しています。今は、歴史の勉強をしていますが、卒業後は公務員(障害者採用の枠?)を目指すために、対策の勉強をしようかなと考えています。(本当は学芸員を目指していますが、採用枠が極端に狭いと聞いたためにそこらへんは流動的です。)
 まだ一年なのでこんなものです・・・ 何かの参考になればうれしいです。
 綱島健作