「堂々と胸はって共に生きよう」(あゆみ幼稚園園長・鈴木先生)
育ち合い・育て合いの草分けがいま熱く語る――2月7日(TOKO講演会)
(お話の概要)
70歳を過ぎているので園長をやめるつもりだったが、後縦靭帯骨化症と線維筋痛症という二つの病気で、障害を負ってしまったため、こういう体になったからやめるというのでは、共に生きようと言ってきた自分の考えに反すると思い、続けている。
40年前にあゆみ幼稚園を作ったとき、人間として生まれてきた子供は、障害があろうがなかろうが全て受け入れようと、若い先生達と話し合った。
ある時、目の見えない一美ちゃんが明かりを頼りに歩いているとき、男の子が足を出し、一美ちゃんは転んでしまった。その子は、一美ちゃんはほんとに先生達が言っているように目が見えないんだろうかと思って、足を出した。ほんとうに見えないんだと知って、その子は一美ちゃんが卒業するまで、いす運びとかお手伝いをした。
足に障害があり家で過ごしていた子どもは、最初笑顔がなかった。先生が声をかけても変化がなかったが、子どもたちが入れ替わりそばに行って、○○くん、と声をかける。返事が返ってこなくても、声をかける。大人だと、返事がないと、次の言葉が出てこない。子どもはたくさんいるから、次から次へといろんな子どもたちが声をかける。大人が食事を食べさせようとすると拒否するが、子どもたちがスプーンで食べさせようとすると、喜んで食べるようになった。
学校とは何を学ぶのか。2+2が4になるとか、この字はなんなのかという知識だったら、家庭でもできる。あるいは、訪問教育として、家に来てもらって教えてもらうことだってできる。けれど、ほぼ同じ年齢の子どもたちがみんな集まって、相互に刺激し合って、心を育てていく、学校とはそういう場所だと理解していただければ、どの子どもも受け入れたくなるはずなんだ。
今年4月から学習指導要領が変るので、文科省が各ご家庭に「生きる力」という冊子を配っている。私は、「共に生きる力」としてほしい。健康な人達でもひとりで生きていけるのかといえば、身の回りのことはできるだろうが、心は育たない。昔、障害があるとか、他と違いがあると、種族が違うとか、悪魔に取り付かれているのではといって、差別した。科学文明が発達しても、さまざまな差別がある。障害者差別もその一つ。文科省が進めている特別支援教育の推進のために、知的の発達の遅れとか、発達障害の早期発見をということで、いろいろ言ってきている。幼稚園への指導資料にも、「こんな様子はありませんか?」というのがある。「他のことに気をとられて着替えがなかなか進まない」、「極端な偏食」、「持ち物をよくなくす」……こんなことは、大人にもよくあること。人は雑穀米。16種類とかある雑穀米を播いたら、16種類の芽が出る。100人いれば100通りの生き方がある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、あらゆる場面で共に生きることを大切にしていかないと。どこかで分けていくと、お互いに違った人種のようなまなざしで見るようになってしまう。みんなできる・できないはある。聴こえる・聴こえない、話す・話さない、そんなことは関係なく、共に生きていくために何ができるか、お子様をお預かりしたときに、そこから考えていけばいい。
日本人が一番得意な言葉、万が一という言葉。万一っていうのは、万分の一の話。そのことにおびえて、校長先生も教頭先生も、ああでもないこうでもないと理由をつけて、拒否しようとする。先生に、万一のことがあったらどうしますって言われたら、万分の九千九百九十九は大丈夫なんで受け入れてくださいと、堂々と胸を張って、普通小学校、普通中学校、高校、そして社会に出て、共に生きていきましょう。
(2月7日、TOKO主催で、TOKOの子どもたちがたくさん卒園しているあゆみ幼稚園の園長・鈴木一義先生の講演会をもちました。会場はそのあゆみ幼稚園。1時間半ほどお話ししていただいた後、会場の質問に答えながら、さらに熱く語っていただきました。会場には、卒園生、在園生と家族、若い職員の方々など、多彩な顔ぶれがぎっしり。全記録はテープおこし完了、ただいま校正中です。)