桜に託す共に学ぶ高校への思いと歩み
2009年春の高校入試と斉藤君の卒業問題
今春、どの子も地域の公立高校へ!埼玉連絡会としては、吉井くん、田端くん、水沼くんといういずれも知的障害のある3人が県立高校を受験し、そのための交渉を教育局と行ってきました。しかし、3人とも、前期・後期いずれも不合格にされました。とりわけ、4年目の受験となった吉井くんの場合は、後期で日高高校が定員割れになり、教育局が「定員内不合格はあってはならない」、「強く指導する」と確約していたにもかかわらず一人だけ不合格にされました。
いまの県立高校には学力信仰が蔓延し、できる子を集める高校からできない子の受け皿の高校まで、生徒達を輪切りにしています。中途退学の原因について、県教育局は「目的意識が希薄」、「基礎学力」、「集団に不適応」、「非行・問題行動」の4つに分類して対応を考えており、障害(特に知的障害)のある生徒など論外という先入観の一因となっています。そして、障害のある生徒には高校でなく養護学校があるはずだという偏見がそれを裏打ちしています。しかし、NNNドキュメント(3.8)は、県立高校の中退率や成績は家庭の貧困と密接な関係があることが調査でわかったと、伝えています。4つの原因といわれるものも、貧困の世代間連鎖に起因しているというのです。
「共に生きる社会」をめざそうというなら、せめて県立高校くらい、できる生徒も、できない生徒も、障害のある生徒もない生徒も、一緒に学び・育つ体験を積み重ねてゆけないのでしょうか。昔は「高校教育を受けるに足る能力と資質」のある一部の者だけが行く場だった「高校」ですが、その後ほとんどの若者が高校を希望する時代となり、彼らの「15の春を泣かせない」という誓いの下、県として県立高校を整備してきたはずです。その意味で、今春の3人の受験は、私立と異なる県立高校の存在理由を問いかけるものでもありました。
その後、2次募集を終えて、けっきょく水沼くんだけが、鴻巣高校定時制に合格し、吉井くんはまたも不合格にされ、田端くんは2次は受けませんでした。教育局は「障害による不利益がないように配慮する」として、点字受験や別室受験などの配慮を行って公平性を維持していると言っていますが、知的障害のある生徒を学力で選抜するということ自体が不利益だという、誰が考えてもすぐわかることを、依然として認めていません。学力信仰ゆえに、たとえ定員枠が空いていても、できない生徒、しゃべれない生徒は落としても許されると、校長はたかをくくっています。「定員内不合格は許されない」とのたまう局は、校長を呼んで指導する「事前協議」の場を設けていますが、驚くべきことにこの重要な「協議」に関して、記録もメモも取らないというのですから、できレースと見られてもしかたがないと思います。
埼玉県教育局の無責任さは、障害児の高校入学等についての交渉を「教育長の意を体して」行う局側の代表である高校教育指導課主席が、毎年必ず異動に(多くは課長に昇任)なってしまうことに凝縮されています。1月〜3月の入試期間を、直接の選考を行う高校のせいにして切り抜けさえすればいいという、安易な道が用意されています。そして、4月になると、新しい主席の下で、連絡会として一から説明を始めなければならなくなります。少し理解ができたかと思うと、もう入試になってしまい、局としての経験や理解、情報の積み重ねが乏しいことが、埼玉の特徴であり、早急な改善が望まれます。
すでに年度が替わり、来春の入試では、制度が大幅に変り、点数主義がさらに徹底します。それをささやかに補うかのように、障害者への配慮をなにがしかの点数としてカウントすることができるようになります。すでに東京、千葉、神奈川等で行われていることを、埼玉県教育局流にアレンジしたものですが、全体として点数主義が強まる中、どれほど有効か疑問です。このことも含め、今後の交渉は多くの課題を抱えることになります。
さらに、今継続中の問題として、斉藤晴彦くんの大宮商業定時制での卒業認定問題があります。高校側は、4年間他の生徒と共に過ごし、4年生の3学期を迎えた斉藤くんと両親に対し、「生活進級」で単位認定をしてないから、卒業もできないと、通告しました。他の生徒には赤点でも補講を課して単位を与え、「とにかく学校に出て来れば卒業させる」とハッパをかけながら、クラスで最も出席のよい一人である斉藤くんには、同じクラスにいても、籍の上では1年生にとどめていたというのは、差別以外のなにものでもありません。どうしてこのようなことが起こったのか、斉藤くんと両親は、いま高校に対し情報公開請求中であり、そこで公開された資料をもとに、さらに話し合いをしてゆきます。