壁に立ち向かう卵として

斉藤晴彦父・斉藤晴一

 単刀直入なお願いです。息子は特例で入学したようですから、特例で卒業させてください。先日は、卒業生を送る会で、記念品までいただきました。本人も皆と一緒に卒業できると信じていましたが、まわりの状況を察してか、しきりに身の処し方を尋ねてきます。どう返答していいのでしょうか。
 4年間一生懸命通学した事に、学校側は何の理解も示さず、ゼロという回答です(履修と修得は違い、結果ゼロです。全てとはいいませんがゼロです。卒業できませんとの事です。)。

 先日、作家の村上春樹が、イスラエルの講演で、卵と壁の話をされました。その中で卵は壁の圧倒的な強さの前ではなすすべもなく打ち砕かれるが、卵は小さな力を合わせる事で、それに対抗できるとの旨を述べています。
 今回の晴彦の置かれている状況を、それに照らし合わせてみると、何故か事々が一致するように感じられます。
 優しい支援の方々に励まされながら、何の力もない個が、学校生活の中でただ一つの武器である出席数で戦おうと、精一杯努力し、対抗しました。ですが、不当な力の前で、あっという間にその殻は打ち砕かれ、中身を出そうとしています。力の無い個々の結集が、何の意味も持たない有様です。悲しい事です。あたたかさの無い現実です。

 学校では、生徒たちに共存とか共生という社会生活のあり方を教えているはずです。しかし、それは空しい言葉遊びの様です。教える側にその意識のまるでない言葉遊びの様です。

 社会はいろいろの人達の集合体です。その中には、当然生まれながらに障害を持つ人、不慮の災難から障害を持った人達も含まれます。旧社会時なら、それらを見捨てて、社会の維持は図られたでしょう。
 けれど、私達が暮らす今は、近代社会です。差別を無くして全てが平等の権利を有する事をめざす(真の社会秩序を創り上げる)近代社会です。
 出来ない人に武器を振りかざす教育は、間違っている。共存・共生を教える資格はない。

 (以上、学校との話し合いで述べた事です。)     2009年3月5日