高校へ行く理由は、人それぞれであってよい

(「障害児を普通学校へ」NO.274 より抜粋)

 「知的障害」者が高校へ行くことがどうなのか、という問いがありました。何のために高校へ行くか、それは人それぞれであってよいのではないかと私たちは考えています。
 自分にとって高校生活とは何だったかを思いおこしてみたとき、勉強したことはあまりおぼえていない、という方も多いと思います。「英語も身につかなかったし、微分も積分も古文も漢文も今やれと言われてもできない。今の生活に役に立っていることが何かあるのか考えてしまう。高校で習った、1モルの硫酸水溶液を作ろうとしてもできない。学習についていけたかどうかでいえば、一応単位はとれたけれど自信はない」と言う方もいました。この方に高校に行った意味はなかったのでしょうか。
 もう一方でこの方は、「高校生活を思いおこすと、死にたいくらい落ち込んだことも何度もあったけれど、今は、友だちとばか騒ぎしたり、活動したりした楽しい思い出が次々と浮かんできて、やっぱり高校へ行って良かったと思える」とも語っています。
 スポーツやサークル活動で充実した高校生活をおくった人もいるでしょう。かけがえのない友人と出会った人もいるでしょう。また、よくわからなかった数学や物理でも、高校でのその学びがきっかけとなって、自分の人生の方向を見つけた人もいるかもしれません。
 ですから、高校で何を学ぶか、どんな生活をするか、それはその人自身が決めることだと思います。私たちと「障害」のない皆さんの間には「高校で学ぶ」ということのイメージにかなり違いがありますが、みんなそれぞれのあり方で高校生活を楽しめれば良い、そんな高校になってほしいと考えてきました。そういう意味で、たくさんの「障害」者がこれまでにも高校生活を送り、つらいこともあったかも知れないし、いじめられたこともあったかも知れませんが、そこを人生の通り道としてきました。その生き方は、誰も否定できないと思います。(障害児を普通学校へ・全国連絡会運営委員会)