共に学び・共に生きることの大切さを実感
分けられた場も経験してわかったこと
越谷市 原田真弓


……でも、1人だったら私なんか絶対に1人で立ち向かっていく事はできなかったから、普通学級にはいられなかったかもしれない。入る事自体できなかったかもしれないけど、やっぱり話し合いの場があって、教えてくれる仲間がいて、こういうのってとてもありがたかったなと思います。

 越谷市在住の原田です。息子は今19歳になりまして、今年越谷西養護学校の高等部を卒業して現在はサイゼリヤの厨房の中で働いています。もう半年働いています。と言うと、とってもボーダーとかできる子なのね、おとなしくてしっかりした子なのね、と思われがちなんですが、うちは小さい時本当に大変な子で、よくここまで落ち着いたなっていうくらいの本当に大変な子でした。こういうところに連れてきたら絶対中にはいられなくてどっかに飛び出していく、奇声をあげて大騒ぎをする、そういう本当に大変な子育てを体験してきました。

おしゃべり会との出会い

 1歳半健診で引っかかって、それからどうかなどうかなっていう時期を何ヶ月か過ごしまして、越谷のみのり学園という通所の幼稚園みたいなところに5ヶ月間だけ通っていました。そこが決まった時に普通の幼稚園の募集も重なっていまして、入れたいなと思い普通の幼稚園の方にもお願いしたら園長先生がどうぞという事で、幼稚園の手続きもして、みのり学園に入りました。みのり学園の方には、幼稚園に入るので5ヶ月間だけお願いしますという事を言うと、ちょっとひんしゅくを買いました。その後普通の幼稚園に年中、年長と2年間お世話になりました。
 で、みのり学園に行っていた時にこのTOKOの会…その頃まだTOKOじゃなくて、おしゃべり会というのをわらじの会の人がやっていまして、そこに参加をしてそこでいろいろ知恵をつけていただきました。あの頃のおしゃべり会っていうのは、狭い6畳くらいの部屋でひしめき合うようにしてみんなで集まって、それでおしゃべりをしていたのね。それで私なんか学校に、なんて言い返していいかわからないという時に、今こういう風に困ってるんだけど、と言うと、そういう時はこうやって言うのよとか、こういう風に持っていくのよってみんなに知恵をつけてもらえたからやりやすかった。でも、1人だったら私なんか絶対に1人で立ち向かっていく事はできなかったから、普通学級にはいられなかったかもしれない。入る事自体できなかったかもしれないけど、やっぱり話し合いの場があって、教えてくれる仲間がいて、こういうのってとてもありがたかったなと思います。なかなか1人じゃ戦っていけないから。これから学校でいろいろ大変だと思うけど、話せる仲間を作っておく事、話せる場に出て行く事が大事かなと思いますね。
 就学相談というのは受ける義務はないんだよ、受けなくてもいいんだよという事を教わり、うちはこの資料の中にもある就学基準を読みますと、絶対うちは養護学校“適”だったと思うんですね。私は、今はだいぶ慣らされて図太くなったのでいろいろ発言もできるんですが、その頃はちょっとつつかれるとぐらぐら揺れてしまいそうな、本当に自分の意見を言うのが苦手でした。なので、就学相談とか行くと、養護学校に行きなさいとか勧められると断れない自分がいるので、ちょっと怖くて遠慮しました。そのおしゃべり会の方でもそんなの行かなくていいんだよっていうのを聞いたので、一切就学相談は行きませんでした。

就学時健診を受けずに

 でも幼稚園の方には、小学校の校長先生や教頭先生からぜひ一度子供を見せに来てくださいと言われていたそうですが、なんで見せに行かなきゃいけないのかという反発心もありました。学校の方とは一切コンタクトを取らず、就学時健診を受けず、学校の方から「就学時健診を受けませんでしたよね」というお電話をいただいた時に初めて、「受ける義務はないので受けませんでした。ただ、そちらの学校には通わせますのでよろしくお願いします。」と言ったら、「はい、わかりました。」と、それだけでした。入る前はそれだけ。教育委員会からは一切何も連絡はなく、その電話一本で終わりました。一日入学はちゃんと行きましたけど、事前に学校側と話をする事は一切しませんでした。
 小学校は2つ上にお兄ちゃんがいるので、お兄ちゃんと一緒に通わせたいと思いました。学区の小学校には特学がなかったのですが、ちょうどいいかなと普通学級にポンッと入れました。なので、学校側もおたおたしていたんだと思いますが、校長がちょうど変わったので、全く何も引き継ぎをされていない校長になりまして、担任の先生も蓋を開けたらうちの子がいたという状況だったようです。ただ1、2年の担任だった先生が私にとってはとてもいい先生でした。担任の先生とも最初はこういう子ですという説明もできず、話もできず、何ヶ月か過ごしてからやっと、実は障害があって…とお話をしたくらいで、本当に今振り返ると無責任だったのかなと思います。でもとってもいい先生で、校長からたぶん付き添ってもらいなさいとか、こういう事は親にやってもらいなさいという話が多々担任の方にあったようなんですが、それが一切私の耳には入ってこずに担任止まりでした。担任の先生がいろいろ考えて子供の事を面倒見てくれました。30何人いるクラスの一員だったので、やっぱり手は足りなかったと思います。でも、その辺は先生は子供達をうまく使っていたようです。

クラス全員で探しに行く

 学校に行っても教室にいられないので、いなくなる。いなくなるとクラス全員で探しに行く。で、足りないと校長や教頭も駆り出して探してくれる。という事で、うまくいろんな人を使ってやってくれていたようです。私も担任の先生には「付き添いは一切しませんのでよろしくお願いします。」と一言だけ言いました。そしたら、本当に一切付き添いという事は言われずに過ごせました。
 小学校1年生の最初の授業参観に行った時に息子がいないんですね。席にいなくて、どこに行っちゃったのかしらと見たら、机と机の間、いわゆる通路に寝そべっていました。そんな子です。でも、小学校2年生になった時には座っていられる時間がだいぶ長くなってきました。ただ、勉強はほとんどできないので、1時間ずっとわからないで過ごしているのも辛いのかななんて気にはなっていたんですが、担任の先生はできる事はさせて、無理強いはせず、でも特別な事はせずやってくれました。他の子もうるさいけどほっといてもいいかな、でも手伝うところは手伝ってあげようかな、という感じでした。本当にクラスの子達がまとまって助けてくれたという状況ですかね。
 3年生ではあまり先生に恵まれませんでした。4年生は まぁまぁ。5、6年生の担任の先生には恵まれて、その先生は息子の担任をしたいと手を挙げてくれた先生でした。5、6年と、体が大きくなってきて大変な時期を何ができるか模索しながらいろいろやってくれました。1、2年と5、6年の先生で共通してよかったのは、うちの子はこんな事に興味が出てきたのでやらせてみたいんですけど、と言うと、じゃあ学校ではこういう風にしますから、おうちでも同じように教えていきましょう。という事で、学校と家と同じような教え方を心がけました。

特殊学級、養護学校の体験

 それで、小学校から中学校に上がる時に、やはりそのまま普通の中学に上げようと思っていました。ただ、いろんな情報があって、他の小学校から上がってくる人でとんでもないいじめっ子の軍団がいて、ターゲットにされたらどうしようという問題があり、そこでちょっと考えました。出した結論は学区外の特別支援学級。中学校は片道40分歩いて登校しました。小学校の時から登校は1人でしていました。それも小学校1年生の時にすれ違い事件というのが二度程ありました。送り迎えをしていたんですが、一本道が違ったようですれ違って大騒ぎした事が2度ありました。それで手押しの信号を押して渡ってこられる、信号のない道路も渡ってこられる、一人で往復できる、という事が親にもわかって、それから1人で通学しています。中学に入った時も片道40分なので最初は送り迎えをしていましたが、何週間か経って、親が大丈夫だなという判断をしてからは一人で通学をしました。
 やっぱり特別支援学級に入ると、そこの子達はほとんどが養護学校に行くので、本人が中学を卒業したら養護学校だという意識になっていたような気がします。小学校普通学級はとてもよかったんですが、やはり本人なりに無理をしていたところもあって、クラスの中で一番できない子なので、中学で特別支援学級に入った時は本人も最初はすごく戸惑ってはいましたが、一番できない子からできる事が結構増えたというところではほっとしていた、というようなところが親にも息子にもありました。他の子達と一緒に中学卒業後は越谷西養護学校の高等部に入りまして、3年間そこで過ごしました。

地域でつながってゆくことの意味

 養護学校は手厚くて本当にいいところだと思う方がいるんですが、中に入ってみると結構そうではなくて、なんだか養護学校の先生もこんな感じ?というのが多々ありました。だから普通学級、特別支援学級、養護学校のどこがいいか、というところではなく、やっぱり親の考え方とか、親と子が先生方や学校と合っているかという部分なのかなと思いました。
 ただ、やっぱり学校生活というのは短くて、その後の生活の方がずっと長いので、うちも普通学級で一緒だったお友達が街ですれ違うと「おお、たかおー。」なんて声をかけてくれたりとか、その頃一緒だったお母さんとすれ違うと「たかお君、駅で会ったわよ〜。」とか、いろいろ話をしてくれるので、やっぱり地域で知っている人がたくさんいるというのは、学区の小学校に入った強みなのかなと、とてもありがたく思っています。
 小学校の普通学級に入って、私としてはとってもよかったと思っています。通園施設、普通の幼稚園、普通学級、特別支援学級、特別支援学校と全部経験してきました。やっぱり地域で普通の学校に、というのがとてもよかった。学校を卒業してからの人生の方が長いので、養護学校にずっと行っていると、地域と本当に離れて暮らしちゃうので、周りの人もそういう障害を持っている子どもが近くにいる事を知らなかったり、知っていてもどんな子どもか知らなかったり、本当に地域とのつながりが断たれてしまうので、やっぱり地域とつながっていくというのを考えると普通学級に行って、地域の人に知ってもらうというのはとてもいいんじゃないかなと思います。

普通学級 いいことばかりじゃないけど

 普通学級に行くと親もしんどいところがあるので、いいことばっかりではありません。子供がいじめられる事もあり、後ろ指を指される事もあり、陰口を言われる事もあり、結構たくさん大変な事もありました。けど、終わって振り返ってみて、嫌な事ばっかりが前面に出ているわけではなく割と楽しかった事しか残っていないので、とてもよかったんじゃないかと思います。子供本人もいじめられる事もありましたが、いじめられてどう対処したら有効かという知識をいろいろ身に付けますね。昔はちょっとからかわれただけで泣きました。ものすごい声で泣きました。だから先生からは「泣くから何かされるのがわかってよかった。」って言われました。中にはおとなしくてつねられたり噛まれたりしてもぐっと耐える子もいたんですけど、そういうお子さんはいじめられても先生にはわからないですね。だから、その子と同じ学年だったのでよく比べられて、おとなしい子よりはたかお君みたいな子の方がわかりやすくていいですって言われました。ただ、お友達が間違った事をしてだめだよって止めたのに、それが嫌だから大泣きしていじめてるって、かんちがいされた事もありますね。でも、本当に小学校は楽しかったですね。
 1学年の半分くらいは同じ幼稚園から入ってるので、仲間が多かったんですね。だから息子の事をわかってくれている子が多かったです。幼稚園の時は取っ組み合いのけんかをしていた子が、小学校に入ったら、今度は相手の子が成長しているんですよね。ちょっとお兄さんになっているので、今度は取っ組み合いじゃなく手助けをしてくれる子に変わっていたりとか。
 養護学校高等部の時に、近くの高校の吹奏楽部が来て演奏をしてくれました。そしたら吹奏楽部に小学校の時に同じクラスだった子がいたらしくて、「久しぶりだよね〜覚えてる?」と声をかけていたみたいです。先生は最初うちの子が何か言われてるんだと思ったようですが、よくよく聞いてみたら知り合いなんですよって言っていたって。そういうのっていいですね。やっぱり親としてはとっても嬉しくって、よかったなと思いましたね。逆に言えば、養護学校の先生がそうして驚いたという事は普段それだけ子供達にとって知り合いがいないと言う事の裏返しですよね。

障害児ばっかりの世界のおかしさ

 養護学校ってやっぱり障害児ばっかりの世界で、先生もそういう養護学校をずっと経験してきている先生だと、養護学校ってこういうところでも四角四面がっちり固まっていてその枠から出られないんですよね。
 つい最近養護学校高等部のお母さんから聞いた話では、自閉の子なんですけれども、耳から聞いた言葉が入らないから、写真とかカードとかで、この先何をするかっていうのをきちんと見せてあげると子供が次は何をするんだなとか、1日こういう流れで過ごせるんだなというのがわかるから、そういう風にしてくれませんかと言ったら、卒業した後施設ではそういう事はしてくれないから学校ではしませんってきっぱり言われたんですって。だけど、お母さんからしてみれば施設がしないからじゃなくて、その子が生活していく上で便利なものは取り入れてほしいという思いで言ったのに、きっぱりしませんと断られて…だからちょっと考え方が違うんじゃないかなって思います。
 うちの子は今サイゼリヤに行っているんですが、障害者雇用で入ったんですけど、実習に行った時にまずは手を洗うんですね。で、外食産業なんで手洗いは重要なんですけど、石鹸をつけてよく手を洗って、爪磨きで爪の間もやってと、手洗いの順番があるんです。洗面所には、順番通りに写真が貼ってあるんですよ。
 でもそれはうちの子のためにとか障害者のために貼ってあるんじゃなくて、いろんな人がパートとかアルバイトで入るじゃないですか。そういう人がぱっと見てわかるように貼ってあるんですね。だから別に障害者のためっていうのではなくて、目で見てわかるものってわかりやすいじゃないですか。めんどくさかったら、「あの写真の通りに手を洗ってね。」で済むじゃないですか。自閉症の子はそういうのが貼ってあるとやりやすいから、うちの子達みたいなのにもわかりやすいし、だからそういうのって便利ならどんどんとり入れてもいいのかなって思うんですけど、やっぱり頭が固い。
 現在息子は働いてはいますけど、一桁の足し算ができるかなというくらいです。デジタルの時計は読めますが、あと10分経ったらとか、1時間後にとか、そういうのはわかりません。漢字も毎日小学校2年生の本を音読で読ませているんですが、結構たどたどしいです。中1からずっと音読はやっていて、親は続けるとすらすら読めるようになるのかなと期待していたんですが、未だにすらすらは読めません。でも、働けています。

(10月30日のTOKO就学相談会での発言記録をまとめました。)